坂本龍馬は言わずと知れた剣の達人です。

 

龍馬は12歳の頃に、日根野弁治の道場で小栗流を学び目録を得ました。

 

その後江戸に修行に出てきて、江戸の三大道場と言われた千葉道場で北辰一刀流を学び、こちらも目録を得ています。

 

武士にとって刀は身分を示す特権でもありましたが、誇りであったり魂を示す大切な存在でもありました。

 

そんな剣の達人である龍馬が使った刀について学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

 

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吉行(よしゆき)

龍馬の刀といって一番有名なのがこの吉行ではないでしょうか。
名工陸奥守吉行が作ったとされる名刀です。

陸奥守吉行

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


陸奥守吉行は江戸時代の初期に活躍した職人です。

その腕を買われて土佐藩専属の職人となり、父も兄も名工として名高い職人一家でした。
土佐の武士たちはその腕の惚れ込み、依頼が殺到したそうです。

 

その陸奥守吉行が坂本家にもありました。
まさに家宝と言えるものです。

 

龍馬はその吉行を欲しがり、兄の権平に頼み込みます。
龍馬が長崎で活躍していた頃です。

 

権平は承諾して龍馬に贈ることにします。
しかし龍馬は脱藩の身であり、かつこんな大事なものを簡単に送ることはできません。

 

その頃、薩摩藩の西郷隆盛が土佐藩主山内容堂に会いに土佐に来ておりました。
西郷隆盛の生涯の知りたいポイントを紹介-妻・子孫、名言も

 

権平は西郷に吉行を託し、西郷から龍馬に渡されることになります。
龍馬は喜び、感激したと言われています。
龍馬が兄に送った手紙にもその喜びの気持ちが示されています。

 

この刀はそれ以降龍馬に愛刀となり、暗殺された際にも持っていました。

 

小説竜馬がゆくでは、姉の栄が贈ったとされていますが、事実は違うようです。

 

陸奥守吉行の特徴はボコボコした模様が描かれています。
その模様がないということで、長年陸奥守吉行ではないのではないかと疑われていました。

 

しかしそれは龍馬の遺品を所持していた坂本家(北海道釧路)が火災にあい、それによってその模様が消えていたためでした。
また、特有の反りも見られないことも疑われていた要因でした。

 

しかし、最新の技術で調査したところ、本物の陸奥守吉行であることがわかりました。

 

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埋忠明寿(うめただみょうじゅ)

こちらも江戸初期に活躍した名工です。
龍馬が海援隊の菅野覚兵衛に渡し、後に返納された刀であるとされています。

 

備前長船(びぜんおさふね)

龍馬が父八平から初めて貰った刀です。
子供の頃から使っていたもので、大人になってからは脇差(約52cm)として使っていました。
こちらも坂本家の関係者が保管していたもので、86年ぶりに発見されたということで話題になりました。

 

やはり父の意思を感じていたのか、生涯大事にした刀だそうです。

 

最後に

龍馬は剣の達人でありながらも極力使うことは避け、またこれからは刀の時代ではないという思想を持っていました。

 

しかし、吉行を貰ったときは大喜びをするなど、刀へのこだわりや愛情を感じるエピソードも残っています。
龍馬が武士としての誇りを大切にしたことがわかります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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