中岡慎太郎(なかおかしんたろう)。
幕末、類い稀な頭脳と圧倒的な行動力をもって、国事に奔走した男です。

 

何より坂本龍馬の盟友として有名ですね。
薩長同盟の実現は坂本龍馬だけの功績では決してありません。中岡慎太郎の存在なくして実現し得なかったものです。

 

龍馬があまりに有名ですので、龍馬とともに行動した人という印象を持っている人も多いはずです。

 

ただ当時ともに活躍した人物の評価を見ると、坂本龍馬よりも優秀だったという声もあるほどです。

 

今回は中岡慎太郎の生涯をたどりながら、その生き方から学んでいきたいと思います。
どうぞ最後までお付き合い下さい。

スポンサーリンク

中岡慎太郎(なかおかしんたろう)の生涯

中岡慎太郎(なかおかしんたろう)は、天保9年4月13日(1838年)に土佐藩の庄屋の家柄に生まれました。

 

庄屋とは「名主」とも呼ばれ、その地域を統括する村役人でした。
中岡家は大庄屋でしたから、大きな範囲を任されていたことが想像できます。

 

ちなみに坂本龍馬が生まれたのは1836年1月3日ですから、中岡の方が2つ年下なんですね。

 

坂本龍馬の生涯についてはこちらにまとめていますのでぜひご覧ください。
関連記事:坂本龍馬のすべて!英雄の魂に熱狂しよう~名言や子孫、最後の暗殺まで

 

土佐勤皇党に入り志士活動を始める

1855年、中岡が17歳の頃、武市半平太が開く道場に入門します。
剣術はもちろん、教養も教える塾の意味合いもあったようです。

 

1857年には兼(かね)結婚します。
中岡19歳、妻の兼は15歳での結婚だったようです。早いですよね^^;

 

その後1861年には武市が結成した土佐勤皇党に入りました。
このとき、後の盟友である坂本龍馬も加わっています。

関連記事:土佐勤王党武市半平太の強烈なリーダーシップと驚きの切腹法

 

土佐勤皇党が掲げる「尊王攘夷」の精神は雄藩諸国でも盛り上がりを見せ、この国はこのままではいけない、改革が必要だという熱が高まっていました。
中岡はまさに尊王攘夷の志士として奔走し始めたわけです。

 

翌年には長州藩久坂玄瑞らとともに、当時日本随一の知識人であった佐久間象山を訪れています。
国家とは?政治とは?という話を聞いて、見聞を広めたということですね。

関連記事:久坂玄瑞はどんなに凄い人?高杉晋作との友情に迫る!!

関連記事:佐久間象山という幕末の天才-暗殺されたの?名言や子孫は?

 

弾圧を避けて脱藩する

中岡慎太郎
出典:wikipedia

長州藩を中心に尊王攘夷の動きは一層活発になっていきますが、朝廷も幕府も黙ってはいませんでした。

 

1863年に八月十八日の政変が起き、長州藩は徹底的に排除されてしまいます。
京都は一変し、土佐藩にも大きな影響を及ぼしました。

 

土佐勤皇党への弾圧が始まるのです。
すると中岡はこのまま土佐にはまずいと察知し、すぐに脱藩したのです。

 

このあたりの動きから、中岡慎太郎が現実を直視する能力に長けており、やはり行動が早いことがわかりますね。

 

中岡は脱藩して長州藩に向かいました。
そうは言っても長州はボロボロの状態でした。

 

それでも尊王攘夷の志を持った志士たちが長州に集まりました。
中岡はその中でリーダー的存在となります。

 

その頃、中岡は石川誠之助という変名を使うことが多かったようです。

 

薩長同盟の実現に奔走

スポンサーリンク

1864年に起こった禁門の変にも中岡慎太郎は参加していました。

 

多くの同志の命を失うところを目の当たりにするわけです。
土佐・長州ともに多くの若い命を失いました。

 

中岡の悲しみや喪失感はどれほど辛かったことか、想像を絶します。
しかし、中岡は止まりませんでした。

 

雄藩、具体的には自ら席を置くかたちの長州藩と薩摩藩の手を握らせ、より大きな力で改革を起こすことに注力します。

 

しかし長州と薩摩は犬猿の仲です。
協力し合いましょうと言ってもすんなりはいきません。

 

そこで長州から信頼の厚かった中岡慎太郎、薩摩からの信頼が厚かった坂本龍馬、2人が協力し合って同盟を実現しようとするのです。

 

そしてついに1866年1月、ついに薩長同盟が結ばれます。
京都の小松帯刀邸で交わされました。

関連記事:【小松帯刀が示す大切なもの】西郷どん、大久保利通を支えた家老

 

翌年の11月に大政奉還が行われますが、この薩長同盟がなければ歴史どおりに行かなかったことは確かではないでしょうか。

 

この後起こる第二次長州征伐では長州が勝利しますが、幕府としてはこの時の敗北が終焉を決定づけます

 

そして長州が勝利できたのも、薩長同盟によって長州側が力を復活できたことの影響が大きいです。

 

土佐藩を引き上げる役割を担う

中岡慎太郎は日本の改革に貢献したことはもちろん、故郷である土佐藩のことも大切に考えていました。

 

薩長同盟を結んだ翌年に中岡は土佐にとって大きな役割を果たしました。
江戸幕府が終わるかどうかといった瀬戸際の時期ですね。

 

中岡慎太郎は当時の土佐藩の中心人物である、乾退助(のちの板垣退助)と親交がありました。

関連記事:板垣退助の自由党の偉大さ!名言や年表から生涯と自由民権運動に迫る

 

土佐藩も雄藩と呼ばれる1つではありましたが、先を行く薩長と比べるとだいぶ遅れをとっていたかたちです。

 

板垣ら土佐メンバーとしても、どうにか中央政権から取り残されないように思案していました。

 

土佐藩側としては、脱藩浪士ながら自分の力で国を動かしていた中岡慎太郎や坂本龍馬のことは常に気にしていたはずですし、2人に中央と土佐のつなぎ役としての期待もしていたのではないでしょうか。

 

そういった期待もあってか、この頃中岡慎太郎は脱藩の罪は罷免されていました。
中岡は当時もっとも力のあった薩摩藩と土佐藩をつなげるための行動をします

 

この頃の坂本龍馬は後藤象二郎とともに大政奉還の実現に向けて奔走していましたが、全員が平和解決、大政奉還を望んでいたわけではありませんでした。

 

実は、中岡慎太郎も武力倒幕派でした。
龍馬の盟友ということもあり、最後まで龍馬と同じ考えを持っていたと思いがちですが、薩長同盟以降の2人の考えは相違しています。

 

そしてもっとも武力倒幕を考えていたのが薩摩藩でした。
多方面に顔がきく中岡はそういった事情も知り尽くしていたのでしょう。

 

薩摩藩の実権者である西郷吉之助(のちの西郷隆盛)と板垣退助を会わせ、武力倒幕の盟約を結ばされるのです。
これが薩土密約と呼ばれ、実際に戊辰戦争では薩摩と土佐が手を握って戦うことになります。

関連記事:西郷隆盛(吉之助)の生涯!妻や子供、子孫は?偉大な名言と壮絶な最後

 

中岡自身が武力倒幕派であったこともあり、その頃陸援隊を結成して自ら隊長となりました。

 

龍馬と中岡、2人の思想に相違点はあれど、国を想い、そして故郷土佐を想う気持ちは同じだったように感じますね。

 

近江屋事件で暗殺

中岡慎太郎は最後も坂本龍馬とともにいたことも有名ですね。
2人は1967年11月15日、京都の四条にある近江屋で暗殺されました。

 

坂本龍馬は頭部に深い傷を負い即死、一方の中岡慎太郎は数十か所を斬られますが一命をとりとめます。

 

斬られてから2日間は何とか生きており、一時は食事をするほど回復しましたが、やはり受けた傷は大きく、11月17日に亡くなりました。満29歳の生涯でした。

 

京都霊山護国神社に龍馬とともに眠ります。
また、坂本龍馬の銅像は桂浜にありますが、中岡慎太郎の銅像は室戸岬にあります。

中岡慎太郎と坂本龍馬の銅像京都の円山公園にある中岡慎太郎と坂本龍馬の銅像
引用:wikipedia

中岡慎太郎の名言

中岡慎太郎はいくつかの言葉を残していますが、私が持っている中岡のイメージにぴったりな言葉がありますので、1つご紹介します。

「謙虚とは堂々として過信しないことだ。それは断じて卑屈であることではない。」

 

中岡慎太郎の評価

同郷で同じ時を生き、そして最後をともにした盟友である坂本龍馬があまりに有名で人気があることも影響してか、中岡慎太郎の評価に影を落としている印象もあります。

 

しかし同時代に生きた人物の中には、龍馬よりも上であるという評価をする人物も少なくありません。何人かご紹介します。

西郷隆盛 「倶に語るべき一種の人物なり」「節義の士なり」

坂本龍馬 「我中岡と事を謀る往々論旨相協はざるを憂う。然れども之と謀らざれば、また他に謀るべきものなし」

板垣退助 「世間で名高くなっている坂本龍馬よりは、ある面で優れていたかと私は思っている。中岡慎太郎という男は立派に西郷、木戸と肩を並べて参議になるだけの人格を備えていた」

 

最後に

私は坂本龍馬ファンですので、中岡慎太郎の存在や生涯はある程度知っていたつもりでした。

 

しかし今回改めて中岡の生涯をたどって感じたのが、彼は維新後の新政府でこそより活躍できたのではないかということです。

 

中岡慎太郎は理想を追い求めながらも、常に現実主義・現場主義を貫き、誰よりも行動した印象があります。

 

その印象はまさに理想の政治家像であるような気がしてなりません。
そんなことを考えても仕方のないことですが、明治政府の会議テーブルに中岡慎太郎が座っている姿を想像すると期待してしまいます。

 

生涯を通して貫いた実直な生き様、写真からもその真っ直ぐな志が伝わってくるようです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

スポンサーリンク

よろしければシェアしていただけると嬉しいです
いいね ! お願いします