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大久保利通の活躍はご存じのとおりかと思いますが、実はその子孫もすごいんです。

 

大久保には八男一女と9人の子どもがいました
9人のうち8人が男の子というのもすごいですよね。。

 

同郷の盟友西郷隆盛の弟従道も子どもが11人いて、それぞれが大活躍されています。
また、大久保は従道のことを大事にして、大政治家に導きました。

西郷隆盛の弟西郷従道も怪物だった!子孫は?従道邸が有名?

 

今回は大久保利通の子孫や妻についてご紹介させていただきます。

 

 

大久保利通の子孫について

9人の子供と言いましたが、全員が奥さんとの子どもではありません。

 

妻の満寿子(ますこ)との間に5人、妾のおゆうとの間に4人です。
大久保には妾がいて、おゆうといい、京都で芸姑をしていたころに出会いました。

 

長男:大久保利和(としなが)
大蔵省に勤め、貴族院議員として活躍します。
鉄道会社の設立や経営にも携わりました。

 

次男牧野伸顕(のぶあき)
外交官を務めた後、文部大臣、農務省大臣、外務大臣、宮内大臣、内務大臣として活躍します。
パリ講和会議に出席し、次席全権大使も務めました。
総理大臣の候補にも名前があがったことがあるほどの大物政治家です。

 

三男大久保利武(としたけ)
内務大臣秘書官として、西郷従道の秘書を務めました。
大阪府知事、埼玉、大分、鳥取の県知事と歴任し、貴族院議員として活躍します。

 

長女芳子
外務大臣の伊集院彦吉に嫁ぐ。

 

八男大久保利賢(としたか)
横浜正金銀行で頭取を務めます。
高橋是清の娘と結婚します。2人の子である大久保利春は丸紅の重役まで努めますが、ロッキード事件に関わり逮捕されることになります。

 

 

大久保は明治初期に岩倉使節団として海外に視察に行きますが、その時長男の利和と牧野伸顕を同行させています。
岩倉具視使節団が残した本当の価値と教訓が偉大!目的やメンバーは?

 

牧野伸顕は伊藤博文にも目をかけられ、影響を受けたと言われています。
やはりそういう面では普通の家柄ではできない経験をしていることになります。
【初代内閣総理大臣】伊藤博文とはどんな人か?年表からみる人物像

 

大久保利通と麻生太郎との関係

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次男の牧野伸顕の長女雪子が吉田茂に嫁ぎます。

 

そして吉田茂の三女和子の息子が麻生太郎になります。

 

第92代内閣総理大臣、現在は副総理・財務大臣として安倍内閣を支えていることはご存じのとおりです。

 

また、麻生太郎の妹信子は、寬仁親王と結婚して皇族となります。

麻生太郎氏は大久保利通の子孫出典:https://upload.wikimedia.org

 

大久保利通の妻(大久保満寿子)について

妻の満寿子は薩摩藩士早崎七郎右衛門の娘として生まれます。
大久保28歳、満寿子21歳のときに結婚し、四男一女を育てました。

 

大河ドラマ西郷どんでは女優のミムラさんが演じられていますね!

大久保利通の妻(大久保満寿子)はミムラさん出典:https://twitter.com/tokyostory/status/980477476592746496


大久保が20歳の頃、お家騒動に巻き込まれて蟄居処分となりました。
そのせいもあり、大久保はなかなか結婚できる状態ではなく、この当時としては晩婚と言えます

 

結婚した当時、大久保は国父島津久光に認められて側近となり、藩の政治を動かしていくような力を得た頃でした。
後に大久保は日本において絶対的な権力を有する政治家となりますので、満寿子はまさに縁の下の力持ちのような存在として大久保を支えることになります。

 

満寿子の記録は多く残っていませんが、大久保の両親、妹も3人いましたので、色々気苦労が絶えなかったであろうことが容易に想像できます。

 

征韓論の議論がなされていた明治6年の政変のころ、満寿子は鹿児島で子育てしていました。

 

近所であった西郷隆盛や、夫のかつての同志であった人たちが夫に不満を持ち、戦争を起こしていく姿をどう見ていたのでしょうか。
満寿子は西郷の妻、糸とも交流がありました。
西郷糸子(岩山糸)【英雄西郷隆盛を支えた妻とは】西郷どんは黒木華

 

この頃の満寿子は想像を絶するくらいつらい時期だったと想像します

 

その後上京して大久保と一緒に暮らしますが、その期間は短く3年ほどでした。

 

大久保が暗殺されてから体調を崩します。満寿子にとってあまりにショックだったのでしょう。
大久保利通暗殺(紀尾井坂の変)の全貌!理由や犯人、場所等

大久保が暗殺されたのが1878年5月14日で、その7ヶ月後、同年12月7日に満寿子は42歳で亡くなりました。

 

大久保利通の妾(おゆう)について

おゆうは京都で芸姑をしており、その時に大久保と出会います。おゆうは現存する有名な茶屋である、一力亭の娘と言われています。

 

西郷どんでは内田有紀さんが演じられますね(^^)

 

2人が一緒になったのが1866年、慶応2年と言いますので、大政奉還の前年です。
薩長同盟、寺田屋事件の後くらいですので、倒幕活動が活発になり、京都の街自体がかなり混沌としていた頃です。
幕末は京都での活動が多かったですので、大久保の京都での生活を支えた存在と言えます。

 

当時薩摩藩は長州征伐を中止し、坂本龍馬からの提案で薩長同盟を締結し、虎視眈々と武力を高め、倒幕に向けて準備を進めていました。

 

ただ幕府という存在はまだ絶対であり、そんな動乱の中で、薩摩藩の政治の舵を握る大久保は、精力的に活動していながらも、かなり疲労していたはずです。

 

おゆうは面倒見がよく、大久保のことを訪ねる志士たちの面倒をよくみたようです。

 

また、戊辰戦争の戦局を握ったと言われる「錦の御旗」ですが、大久保の指示で御旗の生地を買った?作ったのがおゆうだと言われています。

おゆうは内田有紀さん出典:http://uchida-yuki.mato.media/instagram_search?page=1

まとめ

総理大臣や皇族が子孫というのはさすが大英雄大久保利通です。

 

いたって普通の家庭に育った私には想像できませんが、大久保のような偉人の子どもに生まれ、大きな背中を見せられて育つというのは自分も国のため、社会のために頑張ろうという気持ちが強くなるのでしょうか。

 

立派な人物だからこその環境や人脈もあるかと思います。
しかしそれだけではなく、それぞれの志によって大成するんだと考えます。

 

読んでいただきありがとうございました!(^^)

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