西郷隆盛と坂本龍馬。

 

ふたりのことを書こうとしただけで背筋が伸びると言いますか、自然と熱が入るほど偉大で、大きなふたりです。

 

明治維新はどちらか一人でもいなければ果たすことはできなかったでしょうし、紛れもなく歴史を創ったふたりです。

 

今回は、そんなふたりの英雄の生涯をたどり、それぞれの生き方を深堀していくことで見えてくる本当の関係に迫っていきたいと思います。

 

・西郷隆盛と坂本龍馬はどう出会ったのか?

・ふたりは仲が悪いということを聞いたことがあるけど本当なのか?

・ふたりの相違点、共通点はどのような点か?

・ふたりはなぜ偉業を成し遂げることができたのか?何が凄いのか

 

ふたりの最大の共通点、それは生きる目的、生きる意味であったように感じます。
それでは最後までどうかお付き合い下さい。

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西郷隆盛と坂本龍馬の出会い

ふたりの生まれ育った環境の違い

西郷隆盛は1828年に薩摩藩に、坂本龍馬は1836年に土佐藩に生まれました。
西郷の方が8歳も年上なんですね。

 

西郷は7人兄弟の長男として生まれ、生まれながらに兄貴分であり、薩摩の武士をまとめる存在として成長していきます。

 

西郷隆盛の生涯はこちらをご覧ください。
関連記事:西郷隆盛(吉之助)の生涯!妻や子供、子孫は?偉大な名言と壮絶な最後

 

それに比べて龍馬は5人兄弟の末っ子として生まれます。上に1人の兄と3人の姉がいて、兄の権平とは21歳も離れています。
どこか自由奔放で組織に縛られないタイプに感じます。生まれ育った環境の違いかもしれません。

 

西郷隆盛、坂本龍馬とも下級武士の家柄で育ちます。
西郷は徐々に藩内での地位を築き上げ、薩摩藩を代表とする人物となります。

 

一方、龍馬は後に日本全国で大活躍しますが、土佐藩内で目立った活躍はしていません。
それはそれぞれの藩の違いが大きく影響しています。
どの藩も差別や上下関係はありましたが、土佐藩のそれは非常に強固で、下級武士に生まれた龍馬は藩内で活躍することはできませんでした

 

坂本龍馬の生涯はこちらにまとめていますのでご覧下さい。
関連記事:坂本龍馬のすべて!英雄の魂に熱狂しよう~名言や子孫、最後の暗殺まで

 

ふたりの出会い

ふたりが出会ったのは、1864年8月です。
その頃は長州征伐の真っただ中という時です。

 

勝海舟の紹介で、龍馬と西郷は出会います
龍馬は勝が設立した神戸海軍操練所の塾頭をしていた頃です。

関連記事 【勝海舟と坂本龍馬の関係と絆】ふたりの出会いが日本の奇跡

 

一方西郷は禁門の変で薩摩軍の大将を務めていた頃です。
翌年の1865年に3人目の妻である糸と結婚することになります。

関連記事 西郷糸子(岩山糸)【英雄西郷隆盛を支えた妻とは】西郷どんは黒木華

 

この頃西郷隆盛は薩摩藩の顔役となっていました。
当時、日本全国的にも長州藩に対する弾圧は注目されており、薩摩藩の武力や影響力は、幕府や他藩としても大きなものがありました。
その薩摩軍のトップですので、相当な地位と力があったと言えます。

 

一方龍馬は、神戸海軍操練所の塾頭と言っても、まだ船の保有すらままならない状態であり、また塾の中から池田屋事件に参加した者があり、ほどなくして塾は解散されることとなります。龍馬個人の魅力が大きいとはいえ、実質的にはまだ知る人ぞ知る存在でした。

 

坂本龍馬の西郷隆盛への評価

ふたりが出会った時の話として有名なのが、龍馬が勝海舟に話した西郷の評価についてです。

 

大きく叩けば大きく響、小さく叩けば小さく響く。
その鐘をつく撞木が小さかったのが残念だった。

 

撞木とは自分、龍馬のことを指しています。
龍馬の謙虚な姿勢がわかります。

 

実際どう感じたかは空想の世界でしかないですので控えるとして、いずれにしてもここに幕末の英雄ふたりが出会いました。

西郷隆盛と坂本龍馬

ふたりの絆と信頼で実現した薩長同盟

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龍馬を支援した薩摩藩

出会ってほどなくして、薩摩藩家老の小松帯刀を通して、薩摩藩は龍馬の亀山社中を支援することを決定します。
小松は薩摩藩の重臣でありながら、その柔軟な考え方と高い事務能力で、西郷隆盛や大久保利通らを強力にサポートし、明治維新の実現にとって不可欠な存在でした。

関連記事 【小松帯刀が示す大切なもの】西郷どん、大久保利通を支えた家老

 

勝海舟の援助を得て設立できた神戸海軍操練所は、龍馬にとってようやく見つけた自分の道でした
その道が閉ざされたわけですので、当時の龍馬はすがるような気持ちで薩摩藩を、西郷隆盛を頼ってきたわけです。

 

薩摩藩からすれば、いくら幕臣の勝海舟からの紹介といえ、本当にただの浪人集団です。
それを受け入れて支援したというのは、薩摩藩の偉大さが伝わってきます。

 

薩摩藩の狙いとしては、当時蒸気船の操縦ができる人員が不足していたこともあり、幕府の塾で習っていた龍馬らであれば、その点は役に立つだろうと見込んでいたと言われています。

 

その頃度々長崎や薩摩を訪れるようになった龍馬は、西郷の自宅に招かれています。
それぞれの想いや考え方を伝え、そして行動で示していくことを通して、ふたりの関係は信頼というかたちで結ばれていきます。

 

龍馬は手紙を書くのがマメで、土佐藩にいる姉によく手紙を送っていました。
この時期の龍馬が姉に書いた手紙の中には、妻おりょうとのことや、西郷家のことが書かれており、西郷家は信頼できる家で、自分の身に何かあっても妻を西郷家に置いていけば安心であるということが書かれていたそうです。

坂本龍馬の西郷隆盛への信頼の厚さが伝わってきます。

 

薩長同盟

そしていよいよ、幕末の重要な出来事である、薩長同盟の締結が実現されることになります。

 

龍馬と、盟友の中岡慎太郎は薩長同盟の実現に奔走します。
しかし薩長同盟は実現の直前で二度も流れています。

 

一度は長州藩桂小五郎が待つ下関に西郷が来ず、京都に行ってしまうというかたちで裏切られました。

関連記事 逃げの小五郎の3つの真意と桂小五郎(木戸孝允)の名言に学ぶ

 

二度目は京都で、その時は薩長で顔は合わせましたが、それぞれ面子を気にして同盟の話を口にすることができずに流れました。

 

数日後にその話を聞いた龍馬は激怒し、西郷に詰め寄りました。
藩の面子ではなく、日本という国のための同盟である、そのために命をかけていることを訴えました。

 

西郷はその龍馬の想いに応えるように、自ら長州藩に歩み寄り、ついに薩長同盟は実現します。

 

しかしその夜、龍馬が長州藩の三吉慎蔵といるところを襲われます。
龍馬は何とか逃げ延びましたが、手に重傷を負いました。

関連記事 坂本龍馬が全幅の信頼を寄せた三吉慎蔵の義理堅さに惚れる!強い槍で歴史を変えた

 

この時西郷は全力で龍馬を守りました
西郷の龍馬への気持ち、ふたりの絆がわかります。

西郷隆盛出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

大政奉還、そして龍馬暗殺

坂本龍馬の奔走によって大政奉還が実現

薩長同盟を通して、龍馬は長州への武器を購入することを手伝うなど、倒幕に向けて本格的に動きました。
薩摩も着々と武力を高めます。

 

第二次長州征伐では、圧倒的に武力が有利な幕府を長州が破り、倒幕の気運が高まっていきます。
龍馬は実際に戦いにも参加し、長州の勝利に貢献しました。

 

龍馬は戦いに参加したとは言っても、できる限り戦争は避けるべきである考えを持っていました。龍馬は内乱で疲弊することこそが、外国から侵略される最大の隙を作ることを知っていたからです。

 

龍馬はどうにか国内の戦争を避けて倒幕する方法を模索します。それが大政奉還です。
これまで横井小楠や勝海舟など、先見的で広い視野を持っている人物の話を聞いてきた龍馬は、周囲の志士とは違った考え方ができました。そして龍馬の働きが実り、大政奉還が実現します。

坂本龍馬

西郷隆盛と坂本龍馬の対立

しかし、大政奉還を巡ってふたりの意見には相違がありました
あくまで武力をもって幕府の終焉を計画する西郷と、武力は最終手段であると考える龍馬の意見は対立しました。

 

大政奉還の直後、新政府を見る前に龍馬は暗殺されます。
なんとその暗殺を計画したのは西郷ではないかと言われるほどです。龍馬の暗殺ははっきりとしたことはいまだわかっていませんし、これからも解明されないだろうと言われています。

 

実際武力倒幕を準備していた薩摩藩からすると、龍馬の思考、存在が邪魔であったという側面は確かです。
どの組織にも属さず、本当の意味で日本のためになる行動ができる龍馬は、薩摩藩に限らず、様々な藩や組織から命を狙われていました。

実際に西郷は龍馬を暗殺したのか?

私は少なくとも西郷隆盛が坂本龍馬の暗殺を命じたとは思えません。
薩長同盟を結ぶ前からそうですが、西郷が龍馬と会ったときは、薩摩藩の力や影響力は日本一であったと言って過言ではありません。

 

それほどの力を有していた薩摩藩、西郷隆盛が、一浪人の坂本龍馬の説得や意見に対して1つ1つ耳を傾けてきました
この事実に対して、ふたりが仲が悪い、西郷が龍馬の命をとることの説明がつきません。
それをしないのが西郷であり、西郷が日本の歴史上一番愛される人物と言われる所以でもあるように感じます。

 

西郷隆盛と坂本龍馬の相違点と共通点

ふたりのことを考える時に真っ先に感じるのが、その立場や生き方そのものが相違しているということです。

相違点

立場の違い

西郷隆盛:薩摩のドン、そして日本のドンとも言える立場、圧倒的な存在

坂本龍馬:脱藩浪人という立場、個人の人間的魅力で影響を与える存在

龍馬は大政奉還後に政治から離れたいと希望していました。
この言葉も有名ですね。

世界の海援隊でもやりますかな

共通点

倒幕という共通目標

倒幕という大目標がふたりにはありました。
ふたりとも外国から国を守るため、新しい時代にならなくてはいけないことを強く感じていました。

生まれが下級武士

ふたりとも下級武士に生まれたのも共通点です。
龍馬は裕福な家でしたが、決してこれほどの影響力を持つような家柄ではありませんでした。

故郷・家族思い

西郷も龍馬も、大家族に育ちましたが、ふたりとも故郷、家族を大事に想っていたことがわかるエピソードがいくつもあります。

人間的魅力

立場の違いはありますが、ふたりとも人間的な魅力が特段に高かったことは言うまでもありません。

行動力

これも共通していることです。ふたりの圧倒的な行動力があったからこそ薩長同盟、明治維新は実現されました。

「自分のため」ではなく、「国のため」という考え方

そして何より感じるのが、ふたりとも「自分のため」ではなく、「国のため」ということを考えていたことです。
薩長同盟の時に、西郷が決断したのもこの想いでした。

龍馬が浪人になって奔走していたのも、自分の出世ではなく、国のためを想っての行動でした。

敬天愛人

西郷はこの言葉を生きる指針としました。

 

世に生を得るは事を成すにあり

龍馬は人間の一生をこのように考えていました。

 

ふたりの最大の共通点はこの生きる目的、生きる意味を自分のことではなく、国や使命のためであると考えていた点であると感じます。

 

最後に

今年の大河ドラマは西郷どんということで、2人の関係や生き方が再注目されることと思います。
鈴木亮平さんと小栗旬さんという、これまた楽しみな配役です。

 

ふたりのような偉業を成せるとは思えませんが、生きる意味という点では、生涯を通して少しでも近づきたい、そう決意します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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