西郷隆盛の生涯をたどると名前が出てくる「月照」(げっしょう)。
西郷が月照と入水自殺をしたという内容です。
それは事実であり、この時月照は亡くなりますが、西郷は奇跡的に助かります。
ふたりが引き上げられたときは固く抱き合っていたと言われています。
ふたりには心中するほどのことがあったということです。
そこまで追い詰められていました。
今回は勤王の僧、月照の生き方、西郷隆盛との関係について学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。
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月照とは
月照は大阪で医者の長男として生まれました。
西郷より15歳年上です。
体格は小柄であり、西郷とは対照的です。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
京都の成就院(じょうじゅいん)の住職になります。
清水寺にあるお寺です。
この成就院は複数の皇族との関わりがあるお寺で、月照は薩摩藩島津家と関係が深い近衛家とも親交がありました。
月照はこの皇室と親交する環境とそして時勢により、勤王家として活動を開始することになります。
月照と西郷隆盛の出会い
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月照は薩摩藩士との親交が深まり、西郷とも出会うことになります。
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その頃西郷は藩主島津斉彬からある大仕事を命ぜられていました。
それは斉彬の養女篤姫を第13代将軍徳川家定に輿入れさせるための手配です。
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篤姫は身分の差から、一度近衛忠煕の養女となってから家定に嫁ぎました。
近衛家との対応も西郷が受け持ちますが、1つ大きな生涯がありました。
当時武士が公家と直接接触することは禁じられており、そこで西郷は月照に協力してもらい、この大仕事を果たすことになります。
まもなく島津斉彬が急死します。
西郷は主君斉彬の死に殉じて自分も死ぬことを考えます。
そのとき西郷隆盛を止めたのが月照でした。
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勤皇家である月照は幕府から追われる立場に
皇室との関わりが深い月照は勤王家として大きな影響力を持つようになります。
安政の大獄が起こり、月照も西郷も幕府から追われる身になります。
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西郷は月照を救うために薩摩に戻ります。
しかしそのことがふたりを心中に追い込むこととなります。
藩は幕府に悪い印象を与えたくないため、月照を藩に留めておくのは危険でした。
斬り捨てが命ぜられます。
月照と西郷隆盛は入水自殺を選ぶ
そうして西郷は月照を助けるすべがなくなります。
ふたりが選んだのは死ぬことでした。
真冬の錦江湾に身を投げます。
月照46歳でした。
西郷はなんとか息を吹き返します。
しかし西郷が生きていることは藩としては都合が悪いため、表には死んだことにして、奄美大島で生活させることとします。
月照は入水の間際に勤王に対する覚悟と想いを和歌にしています。
西郷どんの月照は尾上菊之助さん
大河ドラマ西郷どんでは、歌舞伎俳優の尾上菊之助さんが月照を演じます。
引き上げられたときにふたりが抱き合っていたことから、BL(ボーイズラブ)を表現するという主旨のことが言われています。
どう演じられるのかはこれからですが、歌舞伎役者であり女方もできる尾上菊之助さんであれば、見事に演じきると思います。
最後に
西郷隆盛はは月照の死を生涯気にして悔やみ続けたと言われています。
西郷が篤姫の輿入れのために奔走する少々前には、祖父、祖母、父、母が1年の間に亡くなり、妻である須賀とも離縁するという、西郷にとってかなりつらい出来事が立て続けにおきました。
その後主君島津斉彬から大仕事を任せれ、そして斉彬が急死します。
この頃の西郷隆盛は相当心身ともに疲れ果てていたことが想像できます。
月照はそんな西郷を励まし、支え、そして志を共にして生き抜いたことがわかります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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