薩摩藩家老、桂久武(かつらひさたけ)。
薩摩の英雄西郷隆盛の親友であり、盟友です。

 

桂久武は西郷や大久保が慕う赤山靭負(ゆきえ)の弟で、最期まで西郷と共にした薩摩藩の家老です。薩長同盟の実現のために奔走し、その場に同席もしている人物です。

 

桂久武の最後をたどると、その友情や心意気に圧倒され、心から熱くなります

 

今回はまさに偉人とも言える活躍をした桂久武の生き方について、西郷隆盛との友情と合わせて学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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桂久武と西郷どんの奄美大島での出会い

久武は薩摩藩の名家、日置島津家の島津久風の五男として生まれました。
年は西郷の2歳年下で、弓術に長けていました。

桂久武
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


長男島津久徴(ひさなる)は主席家老を務めた人物で、赤山靭負が次男になります。

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島津斉彬の死後、斉彬派であった多くの者は影響を受けます。
島津家は皆斉彬派であり、久武も奄美大島に左遷されることになります。

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その奄美大島で西郷隆盛と偶然の、そして奇跡的な出会いを果たします。この時期西郷は一度目の島流しを受けた頃でした。

 

もともと年が近く、赤山の弟である桂久武とは、ある程度親しい関係ではありましたが、奄美大島での生活はふたりの関係を無二の親友に変えます。

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記録は残っておりませんが、ふたりが尊敬する島津斉彬や、久武からすれば兄であり、西郷の兄貴分であった赤山靭負を偲んだり、または将来のことを語り合い絆を深めていったのではないかと想像できます。

 

桂久武は奄美大島では鉱山管理の仕事に従事します。
ここで久武は交渉術や実務の力をつけていきます。

 

ふたりが城下に戻った後、西郷は再度島流しになり、沖永良部島に行きます。
ここで久武は西郷に手紙を送り励ましています。
久武はすでに薩摩の要職に復帰しておりましたので、罪人に手紙を送ることは危険な行為でした。
西郷は久武の想いと勇気に感動し、ふたりの絆は離れてもさらに深まることになります。

 

家老桂久武、薩長同盟に同席

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桂久武は奄美大島から戻ると大目付として復帰し、その後家老となって小松帯刀らと藩政を取り仕切っていきます。

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桂久武は小松帯刀とともに、西郷隆盛、大久保利通らを強力に支援していくことになります。
薩摩藩が明治維新のリーダー的な役割を果たせたのは、久武や小松の柔軟な考え方や有能な実務能力があったからこそです。

 

久武は明治維新に向けて大きく前進することになる薩長同盟の際には家老として同席しています。
当日だけではなく、桂小五郎(木戸孝允)に対して厚遇するなどして薩長同盟に向けて奔走しました。

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当日の会談の内容を坂本龍馬が証人として裏書した書面は久武の記憶によるものであったそうで、久武は薩摩にとって、そして日本にとって大きな役割を果たしたと言えます。

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戊辰戦争では兵糧などの物資、武器などを調達して戦地に送る役割を果たして活躍します。
この時も西郷を支えました。

 

有能な政治家桂久武

明治に入り、桂久武は政治家として要職を歴任します。
病気のため鹿児島に戻りますが、大久保利通は久武の政治力を評価しており、戻ってくるように説得したといいます。

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鹿児島に戻ると、桂久武は自費で銅山開発に尽力します。
奄美大島での経験がここで活きます。
士族の雇用先を用意するという面がありました。

 

桂久武は島津斉彬の方針であった富国強兵にならい、産業を発展させるための事業を実行したことになります。

 

西郷隆盛と桂久武、最後の友情

明治6年の政変の後、西郷隆盛が鹿児島に戻ってきます。
西南戦争が起こりますが、桂久武は当初参加する予定はありませんでした。

 

西郷は出陣の前夜に久武を訪れます。
戦争への参加を頼んだわけではありません。
おそらく西郷は無事に戻れないことはわかっており、親友である久武と最期の別れをしたかったと想像できます。

 

しかし、久武は西郷とともに戦争に参加することを決意します。
戊辰戦争同様、後方から支援する役割である輜重隊の隊長の任に就きます。

 

城山まで西郷と共にし、最期は銃弾を受けて亡くなりました。
48歳でした。

 

桂久武の子孫

久武には息子がおりました。長男久嵩です。

久武同様、西南戦争で亡くなっています。

 

西郷どんの桂久武は井戸田潤さんが好演

大河ドラマ西郷どんでは、井戸田潤さんが演じます。

当初赤山靭負の弟として、島津歳貞という名前で登場しますが、その後養子に入って桂久武となります。

薩摩藩にとっても、西郷にとっても無二の存在であった桂久武を井戸田さんがどう演じるのか楽しみです。

 

最後に

桂久武と西郷隆盛の命日は同じ日です。

 

久武は西南戦争に参加しない選択もできたはずです。
そして参加すればどうなるかもわかっていたはずです。

 

それでも西郷隆盛を見送らず、最期まで共にすることを選んだ桂久武

 

その選択の瞬間、どういう心境であったのか。
聞かずとも想像はできますが、桂久武の口から聞きたいと思ってしまいます。

 

人一倍忠義を尽くし、情が深かいふたりです。
ふたりの性格や人格は似ている部分が多かったのかもしれません。

 

幕末の薩摩藩を縁の下の力持ちとして支えた桂久武、たまらなく会いたくなるほどの男です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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