「赤山靭負」あかやまゆきえ。
薩摩藩の重臣にして、西郷隆盛や大久保利通を引き立てた人物です。
27歳という短い生涯でしたが、西郷に与えた影響、西郷が感じた赤山の魂は強く、大きなものでした。
赤山靭負は確実に西郷隆盛にバトンを渡しました。
今回は赤山靭負の生涯をご紹介させていただきます。
どうか最後までお付き合い下さい。
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赤山靭負とは?島津斉彬との関係
薩摩藩の名家である、日置島津家に生まれました。
殿様が島津ですから、その分家に当たります。
先祖は戦国時代で大活躍しており、代々薩摩藩家老を務める薩摩の重臣です。
赤山靭負は島津斉彬を支持しました。
斉彬同様に西洋文化や蘭学なども学び、名家でありながら守りだけではなく、将来のことを見据えた考えを持っていました。
関連記事:島津斉彬という名君を見よ!西郷隆盛、弟久光との関係を紹介
しかし、薩摩藩には問題がありました。
斉彬の父の島津斉興は、なかなか斉彬に家督を継ぎません。
斉興は斉彬ではなく、その弟久光を次の藩主にしようとします。
斉彬は早く藩主になるべく幕府に藩の不正を訴えるなどして、藩主をめぐるお家騒動が起こります。
斉彬を支持する一派は久光一派の暗殺を計画しますが、実行の前に気づかれてしまいます。
本来、赤山靭負は藩の重臣を務めるほどの名家ですから、藩主にそむくようなことがあっていいはずがありません。
そういった意味でも、赤山靭負に対する処分は厳しく、切腹でした。
その時斉彬を支持する多くの者が死ぬことになります。
赤山靭負が西郷隆盛に与えた影響
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赤山靭負は西郷の5歳年上で、斉彬に忠義を示す西郷にとって頼れる兄貴分でした。
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赤山靭負は深い知識と平等な思考を持っており、西郷は赤山を慕うようになります。
赤山靭負が切腹の際、西郷の父吉兵衛が介錯人を務めました。
吉兵衛は赤山家の家来でした。
西郷隆盛は赤山靭負の血で濡れた衣を見て、斉彬への忠義を深め、理想の国づくりへ邁進することを一層固く決意します。
赤山靭負は、斉彬を藩主になった暁には、薩摩藩のために全身全霊で事に当たる覚悟でいたはずです。
西郷はその赤山のバトンを確実に受け取り、その後斉彬の元で大きく活躍していくことになります。
西郷どんの赤山靭負役は沢村一樹さん
大河ドラマ西郷どんでは、赤山靭負役を沢村一樹さんが好演されております。
沢村一樹さんは鹿児島出身ですので、人一番強い想いで臨んだと考えられます。
出典:https://twitter.com/nhk_segodon
翔ぶが如くでは西岡徳馬さんが演じました。
赤山靭負が重要人物であることがわかります。
最後に
赤山靭負は斉彬が藩主になる前にこの世を去りますが、赤山の兄である島津久徴(ひさなが)は斉彬の元で主席家老を務めます。
下級武士である西郷を引き立てることなどは通常できないほど名家に生まれた赤山ですが、西郷を大事に教育します。
それも赤山靭負の能力の高さ、平等に評価する目があったためです。
歴史上もっとも愛されたと言われる西郷ですが、赤山靭負から受けた教育が西郷隆盛の人徳を磨くことに大きく影響していると感じます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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