維新の十傑にも選ばれる薩摩藩の家老小松帯刀。
イギリスの外交官アーネスト・サトウは、「最も魅力的な日本人」と小松帯刀を絶賛しています。
幕末の志士というと過激な印象です。
倒幕の中心であった薩摩も例外ではありませんでした。
小松帯刀はそれらの志士を家老としてまとめ上げ、明治維新のために全力で走り続けます。
西郷隆盛や大久保利通も小松がいなければここまでの活躍はできなかったはずです。
なぜ小松帯刀がここまで重要な役割を果たせたのか。
その理由は今の私たちにとっても同様に大切なものであるように感じます。
それは何か?
今回は薩摩藩家老の小松帯刀の生き方を通して学びたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。
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小松帯刀とは
薩摩の名家肝付家(きもつき)の三男として生まれました。
本名は小松清廉(きよかど)、呼び名は小松帯刀(たてわき)です。
西郷隆盛より8歳下になります。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
勉学に励み、特に儒学を学びます。
しかし、頑張りすぎてしまい体調を壊してしまいます。
幼少の頃から病弱であったそうです。
武道もやりますが、それものめり込み体を壊してしまったそうで、1つのことに熱中し、度がすぎるほど努力をする性格であったことがわかります。
21歳の頃に小松家に婿入りして名前を変えます。
小松帯刀は島津久光に認められて家老になる
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小松帯刀は島津久光から認められ、28歳で家老に就任します。
小松帯刀は造船などの工場が集まる集成館の管理、長崎に行き軍艦などの西洋式の海軍知識の習得など、多くの重要任務につき、知識を得ていきます。
薩摩藩の偉業である蒸気船の製造にも貢献しました。
小松の知識はその後戦争にも活かされるようになります。
実直に知識を吸収し、人当たりが良く社交性もあり、広い視野で柔軟さもある。
重宝されないわけがない能力です。
幕府や他藩との連絡の窓口や交渉に存分に力を発揮します。
長州征伐では中心的な役割を果たします。
戦いが終わると、戦争によって迷惑をかけたお詫びとして京都の町民に米を渡し歩いたそうです。
小松帯刀の人柄が伝わります。
小松帯刀は西郷隆盛を支える
島津久光から島流しにされていた西郷隆盛が復帰した際、小松帯刀はふたりの間をとりもつなどし、この頃から西郷を支える存在となっていきます。
西郷隆盛からするとだいぶ年下ではありますが、小松帯刀の寛大さに恐縮したこともあるそうです。
小松の人間性が伝わってきます。
いくら西郷が実力と人徳があると言っても、西郷の身分では大きなことは決められませんし、発言力もまだまだです。
家老である小松帯刀のバックアップがあったおかげで西郷は大きな仕事ができるようになっていきます。
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小松帯刀は坂本龍馬の支援も行う
小松帯刀は坂本龍馬の海援隊の支援も行っています。
勝海舟から、龍馬らの支援をお願いされ、快く対応しました。
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龍馬も小松に感謝していることがわかる手紙も残っております。
薩長同盟も京都にある小松帯刀の屋敷で行われました。
薩摩からは、西郷、桂、そして小松が出席しています。
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明治に入り大久保利通に引き継ぐ
大久保利通は小松帯刀と同じように久光から評価され、藩内で力を示していきます。
しかし西郷同様に身分の問題があります。
大久保利通も小松帯刀に支えられ、大きく力を発揮していきます。
実務経験、交渉能力など秀でる力がある小松帯刀は、新政府でも要職に就き活躍するはずでしたが、明治に入り持病の肺結核が悪化し、これまでのようには仕事ができなくなります。
大政奉還後は大久保にバトンタッチするようなかたちで表から離れます。
バトンを受けた大久保が新政府の重鎮として存在感を増していきます。
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小松帯刀は幕末の貢献が讃えられ、新政府から1,000石が贈られています。
20代半ば頃から体の不調はあったようですが、明治3年、35歳で病死します。
長年の多忙が影響したと思われます。
勉学も仕事も熱中する小松は、十分な休みもとらずに走り続けました。
小松帯刀の子孫
小松帯刀には正室と側近がいました。
正室を千賀(近)といい、子はいませんでした。
死後は小松の隣で眠っています。
側室の琴は小松が息を引き取る際その場にいたそうです。
長男小松清直と長女スミを産んでいます。
後に西郷従道の七男を養子として迎えています。
西郷と親戚になることになります。
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西郷どんの小松帯刀役は町田啓太さんが演じる
大河ドラマ西郷どんでは町田啓太さんが演じます。
過去の大河ドラマ翔ぶが如くでは大橋吾郎さん、龍馬伝では滝藤賢一さん、篤姫では瑛太さんが演じています。
最後に
小松帯刀が大きな役割を果たすことができた要因として、
・誰にでも誠実に向き合う
・課せられた職務に対して努力し続ける
であると感じます。
これは今の私たちにも同じように通ずる行動指針になるはずです。
一見難しいことではないと思ってしまいますが、小松帯刀は徹底して力をつけ、人望を集め、活躍の場を広げていきました。
もちろん、無理しすぎて体調を崩さないように、体調管理を行わなければならないことも示しています。
私が小松帯刀を想うときにどうしても考えてしまうのは、もし、
もし小松が生きていれば征韓論で西郷と大久保が対立せずに済んだのはないかということです。
小松がいれば、西郷と大久保の間を取り持ち、その後の西南戦争は何とか回避できたのではないか、
考えても仕方のないことですが、そう思ってしまいます。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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