英雄西郷隆盛を父に持つ西郷菊次郎。

 

西南戦争で大けがを負い、戦地で右足を切断して何とか生き延びます。

 

その後台湾に渡り、市民が困り果てていた洪水問題を解決、その経験を活かして京都市長に就任して数々の公共事業を成功に導きます。

 

現在の京都の街並みの基礎を作ったのが西郷菊次郎です。

 

今回は西郷菊次郎の生き方を通して学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

 

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西郷菊次郎とは

西郷隆盛が奄美大島で3年間暮らす中で出会った2人目の妻である愛加那(あいかな)。
その愛加那との間の息子が菊次郎です。西郷隆盛の長男にあたります。
愛加那(あいかな)【西郷隆盛を救った妻とは】西郷どんは二階堂ふみ

 

愛加那との間にできたもう一人の子供、長女菊草は後に大山巌の弟、大山誠之助と結婚することになります。
大山巌の感動の生き様【西郷隆盛がもっとも死なせたくなかった男】

 

菊次郎が8歳の時に西郷家に引き取られ、隆盛の3人目の妻である糸子に育てられます。
西郷糸子(岩山糸)【英雄西郷隆盛を支えた妻とは】西郷どんは黒木華

 

隆盛は菊次郎に留学を命じます。
菊次郎が12歳のときアメリカに留学し、2年半ほどアメリカで暮らしました。

西郷菊次郎

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

西南戦争で右足を切断する

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菊次郎が17歳の頃、父隆盛が大将を務める西南戦争が起きます。

 

菊次郎も参加し、右足に銃弾を受け、その場で切断することになります。
戦地ですから、しっかりとした麻酔などもなかったはずです。
現代を生きる私たちには想像できない状況です。

 

その際西郷家の使用人の永田熊吉に救われます。
熊吉は西郷どんの最大の理解者!命をはって息子菊次郎を守る

 

戦争後、数年間奄美大島に戻って母愛加那と一緒に暮らします。

 

台湾で西郷堤防を建設

菊次郎は留学の経験を買われて外務省に入省します。

 

日清戦争で台湾を統治することになり、菊次郎は台湾で任務に就くことになります。
台湾で台北県支庁長、宜蘭庁長を務めます。

 

道路の整備、教育制度の構築などを実行していきます。
特に洪水がひどく、農作物は育たず、伝染病が蔓延している状態で、市民の長年の悩みでした。

 

菊次郎は何度も予算交渉を行い、1年半ほどをかけて堤防の建設を行います。
おかげで洪水を防ぐことができるようになりました。

その堤防は「西郷堤防」と呼ばれ、後に菊次郎の石碑も建てられます。

 

京都市長に就任して京都三大事業を行う

台湾での経験を買われ、京都市長に就任します。
多くの公共事業に着手します。

 

特に、京都三大事業と呼ばれる第二琵琶湖疎水掘削工事、上水道工事、道路拡張工事を完遂します。

 

京都市長を6年間務めました。今の京都のインフラの基礎は菊次郎によるものです。

 

菊次郎は鹿児島の自宅で68歳で亡くなりました。

 

大河ドラマ西郷どん

西郷どんの原作では、菊次郎が京都市長に就任するところからスタートします。
西郷どんの原作あらすじと脚本の魅力を西郷ファンが徹底分析

 

大河ドラマでは菊次郎が語り手となってドラマが遂行していくという重要な役割を担っています。

 

最後に

菊次郎の生涯をたどると感じるのは、父隆盛を彷彿させるということです。

 

菊次郎は台湾市民に尽くし、そして愛されました。

 

西郷隆盛が聞けば心から誇りに思ったはずです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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