西郷隆盛と木戸孝允。
日本中の誰もがその名前を知る、維新三傑のふたりです。
維新の三傑としての記事や内容はよく見ますが、西郷と木戸ふたりの関係に迫るような記事は少ないです。
そこに大久保利通が入ったり、坂本龍馬が入ったりして、なかなかふたりだけに迫るということが少ないように感じました。
今回はできるだけふたりの関係というものに絞り、迫っていきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。
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西郷隆盛と木戸孝允
西郷隆盛(西郷吉之助)は1828年に薩摩藩に、木戸孝允(桂小五郎)は1833年に長州藩に生まれました。
西郷の方が5歳年上ということになります。
それぞれ薩摩藩、長州藩のリーダーとして幕末を生き、2人が交わす薩長同盟を機に倒幕への加速が進み、江戸幕府が終焉することになります。
2人がいなければ歴史のとおりにはなりませんでしたし、明治維新は果たせなかったと言っても過言ではありません。
ただ、ふたりの印象、性格のようなものは大きく違うように感じます。
西郷隆盛はその器の大きさ、度量の大きさが謳われ、地元である薩摩藩の同志たちからは唯一無二の大将として慕われました。
その評価は薩摩藩に留まらず、勝海舟や坂本龍馬、板垣退助、福沢諭吉、明治天皇まで、多くの人物が西郷隆盛を高く評価し、唯一の存在であることを認めていました。
一方木戸孝允は唯一無二の存在であり、長州藩のリーダーであることは紛れもない事実ですが、慎重で神経質な面があり、西郷隆盛や同藩の高杉晋作などと比較するとカリスマ性や英雄像からは少しかけ離れるところがあります。
上記のリンクのページにも書かせていただいたように、「逃げの小五郎」とまで言われる生き方をしたことも印象づけているかもしれません。
少なくとも後世に残る印象、大衆からの人気としては西郷の方が数段上であり、今年の西郷どんも含めて西郷隆盛を主役とする大河ドラマは二度やっていますが、木戸は主役としては一度もやられていません。
青年期の大きな違い
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少年期を含めて、ふたりには大きな違いがあります。
それは「剣」です。
木戸孝允と言えば、江戸に剣術修行に出て、神道無念流の免許皆伝を受けた達人です。
その評価は坂本龍馬や近藤勇など、当時の剣の達人と言われる人物が大いに認めるところであり、幕末最強の男として名前を並べられる男です。
それに対して西郷隆盛は少年の頃に大けがをした影響で、剣がふれない男、武士となりました。
武士に生まれ、剣がふれないというのはよほどつらかったに違いありません。
自分という人間の象徴のようなものを失ったような感覚だったことが想像できます。
その「剣」という象徴に対して、ひた向きに努力し続け、成果をあげていく木戸、それに対して剣が生涯使えない、しかし生きるためにはそれを受け入れ、許して前を向かなければならない西郷、この対照的な点はふたりの人格に大きく影響したように感じます。
木戸は一本筋で、どこか理想論をひた走る印象があります。それは剣での上達、成功が影響しているように感じます。
薩長同盟とその志
歴史上ふたりが最初に、かつ最大の交わりは薩長同盟です。
薩摩藩の代表として西郷隆盛が、長州藩の代表として木戸孝允が交渉の場につきます。
私がこの薩長同盟を小説やドラマなどを見て違和感がある点があります。
この、当時の双方の藩にとって最重要とも言える重要事項を決めさせる代表として、ふたりがどう決まったのかという点です。
薩摩の場合は人数も多いですし、家老の小松帯刀が同席していますので、本当に藩の代表であるということが感じてきます。
【小松帯刀が示す大切なもの】西郷どん、大久保利通を支えた家老
一方長州藩の木戸はどのように藩の代表ということが決まったのか、少し見えにくい点を感じるのは私だけでしょうか。
現代は「代表取締役社長」、「代表取締役専務」、または代表権のある人物が押印した契約書などで契約は交わされますが、当時の慣習や役職などの知識不足からかもしれませんが、なぜふたりが代表だったのかがわかりにくく感じます。
禁門の変以降、木戸が藩に戻ってからは、確かに藩のリーダーとして指揮に当たっていましたし、藩主毛利敬親は何を言っても「そうせい」と承認したと言われていますので、木戸に任せると言われたのかもしれません。
長州藩主毛利敬親(慶親)の賢さと心意気~誰よりも志を重んじた殿様
ただ間違いなく言えるのが、あの過激派中の過激派である長州藩の志士たちを、まとめ上げる力が木戸孝允にはあったということです。
薩長同盟が果たされるまでに、二度流れていますが、最終局面で坂本龍馬と西郷隆盛を動かしたのは、木戸孝允の武士としての誇りと、その志であったと感じます。
関連記事:坂本龍馬のすべて!英雄の魂に熱狂しよう~名言や子孫、最後の暗殺まで
当時の長州藩は本当に危機的状況でしたし、この同盟が叶わなければ、藩が消滅するかもしれない、そこまで木戸は覚悟していました。
それでも木戸からは薩摩に助けを求めるような行動はとりませんでした。
ただの意固地になっているように見える部分もありますが、しかしその志や国を想う気持ちは強く、長州が消滅しても薩摩が日本をどうにかしてくれる、木戸はそう思っていました。
その言葉を聞いた龍馬、そして西郷は薩摩から口火を切り、ようやく薩長同盟が果たされました。
木戸孝允はその武士としての誇り、覚悟、または交渉力、そういった力を持っていたがために長州藩の確固たるリーダーであったはずですし、西郷は心を動かされました。
西郷隆盛と坂本龍馬の関係や絆についてもまとめていますのでぜひご覧下さい。
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西郷隆盛と木戸孝允ふたりの最後の仕事
ふたりが一緒に取り組んだ最後の仕事言えるのが廃藩置県ではないでしょうか。
江戸幕府の終焉、事実上の武士の時代の終焉という歴史を創ったふたりですが、実務的な面での「武士の終わり」を行うときも、2人の力が必要でした。それが廃藩置県です。
これまで武士の中には、藩というものが一番大きく影響されるもので、武士にとっての国は藩であったと言っても過言ではありません。
その国をつぶすという、大きな影響を及ぼすだろう決断は、木戸孝允の邸宅で行われました。
薩長の有力者が複数人木戸の邸宅に集まり、この難問が議論されました。
最終的にはもう断行するしかないのではないかという木戸孝允と、問題や後処理は自分が引き受けるという西郷隆盛の決断、覚悟によって成されました。1871年のことです。
後の時代にバトンをつないだ西郷隆盛と木戸孝允
時代を変えるために、命をかけて奔走したふたりですが、もう1つ大きな役割を確実に果たしました。
それは後の時代へのバトンをつなぐことです。
西郷隆盛の故郷薩摩藩には、郷中教育という独自の教育方法がありました。
簡単に言うと専門の先生ではなく、先輩が後輩に教える、鍛えるという教育です。
西郷が育った郷中からは、この時代、この後の時代に大活躍する人物が多く輩出されました。
弟の西郷従道はもちろん、陸軍大将を務めた大山巌などはその代表的人物です。
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木戸孝允が故郷である長州藩からも数えきれないほど国のために懸命に働く偉人が多く輩出されています。
伊藤博文などは誰もが知る初代内閣総理大臣となり、近代日本の創出の立役者となりました。
伊藤を最初に見い出したのは木戸孝允でした。伊藤がまだ武士という身分ですらなかった時です。
明治に入ってからも伊藤を引き上げたのは木戸でした。木戸の存在がなければ伊藤博文の活躍は歴史通りではなかったかもしれません。
関連記事:【初代内閣総理大臣】伊藤博文とはどんな人?年表でみる人物像と功績
西郷隆盛、木戸孝允、ふたりの大きな背中、偉大な志をみて育った人物は数知れません。
その功績はその後の日本にとってはかり知れないほど大きなものです。
西郷隆盛と木戸孝允ふたりの苦悩と最期
もう一人の維新の三傑である大久保利通と比較すると、明治に入ってからの西郷と木戸の活躍は劣っていることは誰もが感じる点ではないでしょうか。
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西郷は戊辰戦争後は一度薩摩に帰っており、明治政府で仕事をするようになったのは、大久保からの再三の依頼があったからです。
西郷の気持ちとしては、この時すでに自分の役割は終わったと認識し、新国家の設立の部分からは手を引こうとしていた気持ちが十分に伝わってきます。
それでも周囲から担がれ、中心人物としての働きをせざる負えなかった西郷隆盛。
一方木戸は岩倉具視の使節団にも同行するなど、新政府の中での役割を果たそうと動きますが、新政府内での人間関係や多くの問題に追われ、体調を崩していきます。
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ふたりはそれぞれ理由や状況は違いますが、苦悩していたことが伝わってきます。
そして最期は西郷隆盛が戦死、木戸孝允は病死で亡くなります。
木戸は西南戦争の最中の西郷のことを叱る、心配する、どちらとも取れるような言葉を夢の中で口走ったと言います。
1877年の5月26日、その生涯を終えました。
一方西郷はそれから約3ヶ月の9月24日、戦争の中自決しました。
日本の歴史上でも大きな変革期であった明治維新、その中心的役割を果たしたふたりは、最期まで苦悩し、国や仲間のことを想い続けた死に様だったように感じます。
ふたりがいて、苦悩したからこそ今の日本があります。
その想いの大きさや責任の大きさに心から感服します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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