誰もがご存じ西郷隆盛、明治維新の中心的な役割を果たした英雄です。
そのお兄さんに隠れてしまいあまり目立ちませんが、弟の西郷従道(西郷信吾)もものすごい功績をおさめた人物です。

 

西郷隆盛をリーダーとして薩長の志士を中心に、外国から日本を守ろうとして倒幕、そして明治維新が起こりました。

 

弟の西郷従道も数々の戦いに参加して活躍し、明治政府では初の海軍大臣、元帥海軍大将を務め、日清戦争と日露戦争を中心に日本を守りました。

 

兄弟そろって国のために生き抜いた生涯と言えます。
考え方、行動、人格まで、これぞリーダーといった生き方をしたのが西郷従道です。

 

現代に生きる私たちが学ぶべきことがたくさんあります。
今回は西郷従道(信吾)についてご紹介させていただきます。
どうか最後までお付き合い下さい。

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西郷隆盛の弟、西郷従道(信吾)の生涯・功績

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

西郷従道からすると兄の隆盛は親のような存在

西郷従道は西郷家の三男、6人目の子供として生まれます。隆盛とは15歳差です。
つぐみち、もしくはじゅうどうと呼びます。

 

本当は隆道(りゅうどう)という名前でしたが、明治に入って役所の登録で「じゅうどう」と間違えられて以来、隆道から従道となりました。名前を間違えられて正さないというのも普通ではないですよね。

 

また、通称としては信吾と呼ばれることも多く、兄の隆盛も「信吾」と呼びました。
周囲は2人の西郷をわかりやすくするために、隆盛を大西郷と、従道を小西郷と呼ぶこともありました。

 

兄西郷隆盛の生涯はこちらにまとめていますのでぜひご覧下さい。
関連記事:西郷隆盛(吉之助)の生涯!妻や子供、子孫は?偉大な名言と壮絶な最後

 

従道が小さい頃に両親を亡くしますし、兄の隆盛とは15歳も離れていますので、従道からすると兄の隆盛、二男の吉二郎は親のような存在だったはずです。

 

茶坊主から過激な尊王攘夷派になる

幼いころ、藩主島津斉彬の茶坊主として働きます。
藩主の茶道をする時にお手伝いする役目です。頭を丸めることから坊主とつくようになりました。

 

その後、兄の隆盛や大久保利通、有村俊斎(海江田信義)らが結成する精忠組(せいちゅうぐみ)に参加し、攘夷活動にも参加していきます。

関連記事:大久保利通の偉大さ!子孫まで凄い!麻生太郎も?妻はどんな人?

関連記事:有村俊斎(海江田信義)が西郷どん島流しの原因?生麦事件の張本人

 

精忠組同士の斬りあいになってしまった寺田屋事件にも参加していましたが、年が若かったために謹慎処分ですみました。

 

その後、スイカ売りで有名な決死隊や薩英戦争にも参加しました。
スイカ売りに変装して外国の船に乗り込んで斬り殺そうとするという無謀な計画です。もちろん失敗に終わります。

 

こういった一連の過激活動に必ず参加していますので、その過激さがわかります。

戊辰戦争では従道は重傷、兄に吉二郎は救えず

西郷従道は戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いでは重症を負います。
銃弾が貫通するという大怪我だったようです。

 

この戊辰戦争では西郷家にとって不幸がありました。
次男の吉二郎です。吉二郎は越後での戦いに参加して戦死しました。

関連記事:西郷吉二郎(隆盛の弟)の優しさと偉大さ~西郷どんで渡部豪太が好演

 

越後での苦戦を聞いた従道はすぐに戦地に向かいましたが、吉二郎の死には間に合いませんでした。

 

明治政府では軍人として活躍する西郷従道

明治に入ってからの西郷従道は軍人として活躍することになります。
1869年(明治2年)には山縣有朋とともにヨーロッパ、ロシアと軍隊や軍政について視察に行っています。

西南戦争には参加しなかった西郷従道

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明治6年、兄隆盛と盟友大久保利通が対立した際、隆盛は政府を去ります。
その際、隆盛を慕う多くの者が一緒についていきました。

しかし、従道は兄隆盛の下野にはついていかず、政府に残りました
兄の隆盛が残るように言ったとも言われています。

 

従道はその後の西南戦争にも参加していません。
ただ兄の死はよほどショックだったようで、兄の死を聞いて自分も政府を去ろうと決意したそうです。

 

兄の親友でもあり盟友でもある大久保利通に説得され、政府に残ることにします。
従道は幼い頃から面倒を見てもらった大久保も本当の兄のように慕っており、暗殺された時は大きなショックを受けました

軍人のトップを極める西郷従道

大久保が暗殺されると、従道の世代が中心となっていきます。
その頃従道と一緒に大活躍するのが、従妹関係に当たる大山巌です。
後に従道が海軍の大将に、大山が陸軍の大将になります

関連記事:【器の大きい男とは?】幕末~明治のリーダー大山巌!感動の3つの名言と男の生き様とは?

 

従道は陸軍中将として台湾出兵し、日清戦争、日露戦争では海軍で活躍します。
日露戦争では従道の冷静な分析力も際立ちました。

従道はロシアとの戦争を避けられないと見て、戦う準備と同時にイギリスとの同盟を結ぶ計画を実行しました。そのことは日本が有利に進めるために大きな武器となりました。

従道の功績は大きく、海軍大将、その後は海軍軍人として初めての元帥にもなります。

西郷従道のリーダーシップと人を育てる能力

後に総理大臣になる山本権兵衛を引き立てたのは従道でした。
その後山本は東郷平八郎をリーダーとして育てることとなります。もし西郷従道がいなかったらあの東郷平八郎は育たなかったかもしれません。

 

大山巌にも共通しますが、従道には責任は自分がとるという姿勢を持っており、部下が自分の能力を最大限発揮できる環境を作ることに優れていました

 

実際に日露戦争の前、ロシアという大国を戦うには今の装備では不十分であることを感じた従道は、決死の決断をします。
本来使ってはいけない国家予算を使って艦船を作ってしますのです。

 

それが有名な「三笠」です。
従道には切腹する覚悟すら持っていました。自分の命よりも国を守る覚悟があったのです。
結果的にはこの三笠は日露戦争では日本の主力戦艦として大いに活躍して、日本を守ることができました。

 

総理大臣候補にも名前が上がる

西郷従道は、農商務卿、陸軍卿、文部卿、内務大臣、海軍大臣、陸軍大臣、農商務大臣、貴族院議員と、数々の要職を歴任しました。

 

圧倒的に有能であったことが十分伝わります。
総理大臣候補にも名前が上がり、明治天皇からも薦められたというからどのくらいすごいかがわかります。

 

しかし従道は断り続けました。
兄が逆賊であり、その弟が日本のトップになるわけにはいかない、みんな納得しないという理由からだったそうです。

 

事実上、兄隆盛の汚名は返上されますが、それとは関係なく、そのようなことを跳ね飛ばすほどの実力と実績が従道にはあったのではないでしょうか。

 

従道は胃がんにより59歳で亡くなります。

 

西郷従道の妻・子供、子孫

従道にはなんと七男、四女おり、それぞれが大きく活躍したり、名家に嫁いでいます。
まさに華麗なる一族です!

 

西郷従道の妻は清子といって、同郷薩摩藩の出身です。父は官僚を務めた人物です。
清子との間に6人の子供がいます。

 

また、この時代には珍しくありませんが、従道には妾もいました。
芸者のナカとの間に5人の子供がいます。

 

長男従理(じゅうり)
7歳でロシアに渡り、その後ワシントンで暮らしますが10歳で腸チフスで亡くなっています。
亡くなった時に立ち会ったのが大山巌でした。大山は当時たまたま視察で訪れていました。

 

次男従徳(じゅうとく)
貴族院議員、陸軍大佐を務める。

 

三男豊彦(とよひこ)
貴族院議員、陸軍少佐を務める。

 

四男上村従義(つぐよし)
陸軍大佐を務める。

 

五男従親(じゅうちか)
海軍機関大佐を務める。

 

六男豊二(とよじ)
古河林業部代表社員を務める。

 

七男小松従志(じゅうし)
主猟官兼主馬寮御用掛、伯爵を務める。

 

長女政子(まさこ)
外交官であった楢原陳政に嫁ぐ。

 

次女栄子(えいこ)
士族平岡良助に嫁ぐ。

 

西郷従道(從道)邸は重要文化財

従道は明治初期に、兄隆盛のために東京の上目黒に敷地を購入して庭園と洋館を建てました。明治6年の政変で隆盛が鹿児島に帰ったときです。

 

西郷山とも呼ばれ、明治天皇を始め、多くの人を招いて接客したと言われています。

 

西郷従道邸と呼ばれ、重要文化財として愛知の明治村に移設され、現在は西郷山公園となっています。

 

西郷どんの西郷従道は錦戸亮さん

2018年の大河ドラマ西郷どんでは従道を錦戸亮さんが演じています。
初回で少し登場しましたね。

 

海軍大将、元帥と務めた従道を錦戸亮さんがどう演じるのか楽しみですね。

 

最後に

西郷隆盛も西郷従道も軍人、司令官としての才能が秀でていたことは間違いないですよね。
それにしても隆盛、従道、山本、東郷と並びますが、薩摩藩という藩の強さも納得してしまいます。

 

西郷従道のことを考えるときに一番思うのが、偉大な兄である隆盛は従道にとってどういった存在だったのだろうかということです。

 

大英雄である隆盛の背中を感じながらも、ここまでの功績を残す従道の精神や考え方はすごいものがあると感じます。

 

このように明治政府の立役者となった従道ですが、兄のために西郷山を購入するなど、優しさや温かさを感じます。
この人間性は西郷家の血なのかもしれません。

 

明治の偉人、西郷従道をご紹介させていただきました。
読んでいただきありがとうございました!

 

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