薩摩藩で西郷隆盛、大久保利通らの家の近所に育った村田新八。

 

勝海舟は村田新八に対して、大志があり、大久保利通に次ぐ優秀な人物であったと評価しました。

 

村田新八は明治に入ると岩倉使節団に同行します。
帰国すると村田には非常につらい選択が待っていました。

 

それはシンプルにいうと西郷隆盛か大久保利通どちらについていくか?
村田にとって大先輩であるふたり。

 

村田新八の選択と行動はどのようなものだったのか。何を重んじたのか。
そこには凄まじい「義」がありました。心の奥から熱くなるのを感じます。

 

今回村田新八の生き方から学んでいきます。
どうか最後までお付き合い下さい。

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村田新八とは

本名の姓は高橋でしたが、結婚して村田となります。
西郷や大久保の近所で育ちます。

 

西郷の9歳年下で、郷中教育では西郷隆盛から指導を受けます。
身長は180cmと高く、剣術にも優れておりました。

村田新八

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


西郷隆盛、大久保利通が中心メンバーであった精忠組にも参加しています。

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藩主島津斉彬の死後、国父となった久光が上洛します。
その際先陣として任命されたのが西郷と村田でした。

 

しかしその際島津久光の認識の相違からふたりは島流しになってしまいます。

 

久光からは下関で待つように命ぜられていましたが、西郷らは一部の者が暴発しそうな動きを知り、止めるために大阪に向かいます。

 

その行動が久光を怒らせることになり、村田は西郷と一緒に島流しになります。
西郷隆盛は沖永良部島に村田新八は喜界島に島流しを命ぜられます。

 

西郷が許されると、喜界島に寄って村田も一緒に連れて帰ります。
村田はその西郷の行動に生涯恩義を感じていました。

 

復帰してからも村田は西郷と行動を共にします。
西郷としても頼れる存在であり、大きな仕事の際は同行させています。

 

薩長同盟により薩摩は長州との関係は近くなり、村田は長州藩の伊藤博文らと一緒に上海に視察に行っています。

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戊辰戦争でも西郷と共にし、活躍を見せます。
江戸城無血開城では中村半次郎と共に西郷に同行しました。

 

中村半次郎も村田と深い仲であり、最期を共にしています。
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大久保利通が片腕と信じた男

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明治に入り、村田新八は岩倉使節団に同行することになります。
同郷の薩摩からは大久保利通が一緒に行っています。

 

大久保は村田新八を高く評価しており、将来は自分の片腕になってくれる信じていました。

 

外遊が終わり帰国すると、日本では征韓論が巻き起こり、西郷は鹿児島に戻っていました。
村田新八は西郷隆盛の意見を聞くということで鹿児島に戻ります。

 

征韓論の中心は西郷と大久保であり、ふたりが正面から対立したかたちでした。
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最終的には、村田新八は西郷隆盛と共にすることを選択しました。
村田は東京には戻れない旨を大久保に送っています。大久保は非常に落ち込んだといいます。

 

西南戦争とアコーディオン

鹿児島に戻ると、西郷の私学校で中村半次郎らと一緒に教育を担当します。

 

村田新八は岩倉使節団で外遊している際にアコーディオンを買って大事にしていました。
他にも和歌なども詠み、文学的なことも好みました。

 

西南戦争では2番隊を率いて参加しますが、戦地でもアコーディオンを弾くこともあったそうです。

 

敗れるのが明白になってくると、西郷だけでも助けようという意見が出ます。
西郷への説得を村田がしましたが、西郷は受け入れませんでした。

 

その時中村半次郎は生き延びるべきではないと意見したそうです。
どちらも西郷隆盛への想いが強い者同士、ふたりの気持ちを考えると言葉にできません。

 

西郷隆盛が亡くなり、村田もほどなく自決します。42歳でした。

 

西南戦争では村田新八は長男の岩熊も指揮しており、村田より先に戦死しています。

 

西郷どん(せごどん)の村田新八は堀井新太さんが好演

大河ドラマ西郷どんでは堀井新太さんが演じております。

西郷を慕う村田、最期まで西郷に共にする決死の村田をどう演じられるのか楽しみです。

 

最後に

最後の最期、村田新八が選んだのはなんだったのかと考えてしまいます。

 

最期に選択したのは、名誉でも仕事でもなく、村田新八の「義」であったとしか言いようがありません。

 

村田新八にとっては西郷隆盛に忠義を示すこと、西郷から離れず、行動を共にすることが義であったと感じます。。

 

西郷はもちろん一緒に死んで欲しいと頼んでいるわけでも、政治家を辞めて鹿児島に戻ってきて欲しいと言っているわけでもありません。

 

しかし、村田新八にとって命よりも大切だったことは西郷隆盛との友情であり、忠義であった、そう私は感じました。心が震えるような想いになります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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