「永田熊吉」ながたくまきち
西郷家の使用人であり、西郷隆盛の最良のパートナーです。
西郷どんでもお馴染みの熊吉ですが、ただの使用人ではありません。
その生き方からは誇りを感じます。
雑用はもちろん、後に契約交渉まで、さらには戦争に参加して西郷どんの息子を救出するなど大活躍します。
西郷家一筋、使用人(下僕)永田熊吉の素敵な生涯をご紹介させていただきます。
どうか最後までお付き合い下さい。
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西郷家の使用人(下僕)永田熊吉
西郷家には熊吉以外にも使用人がいました。
使用人というと西郷家は裕福なのかと思いますが、かなり貧しい下級武士の家族でした。
しかも大家族なので、ときには食べるものがなくなり、熊吉の実家から食べ物を分けてもらったりしていたようなので相当です。
当時武士と使用人は期間を決めて契約をするのが通常だったようですが、永田家は代々西郷家に仕えていました。
一家が貧しいですので、雇うと言っても今のようなかたちで給与をもらうというかたちではなく、一緒に生活して何とか食べていくというお仕事です。
誠実で人情味があり、一生懸命働く熊吉は西郷家の人たちから愛され、なくてはならない存在でした。
西郷隆盛が江戸や京都での仕事が多くなると、熊吉もついていき隆盛を支えます。
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西南戦争のときに、薩摩軍の敗北が見えてくると、西郷隆盛は自軍の解散をします。
その後降伏することになりますが、隆盛が後始末を命じたのは熊吉だったといいます。
隆盛の熊吉への信頼が絶大であったことがわかります。
明治に入り、熊吉は東京で暮らす隆盛の身の回りのことを一手に引き受けます。
金銭の管理や土地の売却などの手配も熊吉が行ったと言われています。
西南戦争に参加、そして菊次郎を守る
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西南戦争のときは熊吉も参加します。
戦地で西郷隆盛の息子菊次郎が右足に大けがを負います。
菊次郎は隆盛の2回目の妻、愛加那との息子です。後に外交官、京都市長を務めます。
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熊吉は菊次郎を連れて宮崎から鹿児島まで歩いて戻り、菊次郎を助けます。
熊吉が連れて帰ると、隆盛の弟、西郷従道は菊次郎の生還を喜び、熊吉を大変感謝したといいます。
戦争中西郷家が焼き払われた際、熊吉は西郷家の人たちを安全に移動させるなど、命をはって西郷家に仕えます。
隆盛死後の熊吉
西郷が亡くなってからは西郷家の3男従道に仕えます。
従道は兄隆盛のために、東京目黒区に広大な土地を購入します。結果としては隆盛が亡くなったので、後に従道が洋館を建てて住むことになります。
今は重要文化財になっています。
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その西郷従道邸の手入れを命じられ、熊吉は自身の家族とともに従道邸で暮らします。
今は青山霊園で眠っています。66歳の生涯でした。
青山庭園は西郷の妻である糸や大久保利通などが眠ります。
使用人と言えども熊吉の大きな功績が伝わります。
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「西郷どん」の永田熊吉役は塚地武雅さんが
2018年大河ドラマ西郷どんでは、塚地武雅(つかじむが)さんが味のある演技をしています。
当然西郷隆盛の一生を支えたわけですから、塚地武雅さん演じる熊吉もずっと登場するはずです。
西郷どんでは隆盛より熊吉の方が年上の設定ですが、実際は7歳ほど年下でした。
最後に
使用人としての雑用、身の回りのことはもちろん、金銭の管理や土地売却の手配、庭師など、今でいう職種が次々に変わります。
その度にしっかり身につけて仕えていくことを考えると、能力の高さ、素直で実直な人物像が想像できます。
熊吉はまさに西郷家に捧げた人生でした。
親、兄弟よりも、家族よりも、そしてどの同志よりも西郷隆盛との時間を一緒にしたのは、熊吉かもしれません。西郷隆盛の最大の理解者は熊吉だったのかもしれません。
熊吉から直に西郷の話を聞きたいと思ってしまいます。
西郷家使用人熊吉は、間違いなく明治維新を支えた一人です。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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