大山格之助、薩摩藩に生まれ、西郷隆盛や大久保利通らと共に育ちます。
西郷の3つ年上で、幼い頃から西郷らとは切磋琢磨する仲でした。

 

しかし、それぞれ生きる中で信じる道も変わっていき、確執ができてしまいます。

 

そして明治に入り、ふたりは再び手を取り合います。
そこには友情があったはずです。

 

大山格之助が西郷隆盛に対して示した友情の代償は死でした。
不器用ながらも、真っ直ぐで友情に厚い生き様に惚れ惚れします

 

今回はそんな薩摩男子、大山格之助の生き方を学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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大山格之助(大山綱良)とは

大山格之助(大山綱良)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


大山格之助は西郷隆盛や大久保利通の近所で育ちます。

明治に入り大山綱良(つなよし)と名前を改めます。

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西郷とは幼馴染でもあり、対抗意識もあり、大人になっても意見が割れることがあったようです。

 

剣の腕がすこぶる高く、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)を極めていました

 

薬丸自顕流は薩摩の剣術であり、防御なしの攻めのみという、一撃必殺の破壊力があります。
猿叫といって、敵に「キェーッ!!」と叫びながら向かうのが特徴です。

 

しかも大山格之助は小太刀も得意であり、どのような場面でも打ち負かす技量がありました。

 

その腕は江戸三大道場の塾頭と対戦しても圧勝するほどであったと言われています。

 

その剣の腕を買われ、藩でも重要なポストに就いていき、薩英戦争でも活躍することとなります。

 

同じ同郷の中村半次郎も薬丸自顕流を極めた剣士でした。
関連記事:中村半次郎(桐野利秋)と西郷どんの絆【人斬り半次郎の真実に迫る】

 

寺田屋事件で大山格之助と西郷隆盛は確執関係に

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大山格之助は精忠組のメンバーでした。
精忠組は西郷や大久保ら薩摩の下級武士が集まる藩の組織です。

 

その精忠組のメンバーであった有馬新七を中心とした過激派と、藩の命令で有馬らの暴発を鎮圧するために送りこまれた討手で斬り合いをするのが寺田屋事件です。

関連記事:【有馬新七の生き方】寺田屋事件での壮絶な最期を西郷どんでも

 

大山格之助は討手として寺田屋に向かいます。
その強さは際立っており、大山は無傷であったといいます。

 

この時西郷は島津久光に逆らうようなかたちで島流しになりました。
西郷は有馬新七らを討った大山らを許せなかったと想像できます。

 

大山格之助はその後薩長同盟の調印する任務を果たすなどし、明治維新に向けて奔走します。

 

戊辰戦争にも参加しますが、連敗続きであったようです。
剣術の腕は高いですが、軍として指揮をするなどの能力には欠けていたことがわかります。

 

初代鹿児島県令に就任した大山格之助

明治に入って廃藩置県が行われ、大山格之助は代鹿児島県令に就任します。

 

通常県令(県知事)はその県以外の者が就きますが、鹿児島は少し例外で、武士の力、特に島津久光の力がまだ影響しておりました。
久光に近い立場にいた大山が就任しました。

 

この頃大山と西郷の関係が変化します。
大山は、西郷が鹿児島に設立した私学校の資金援助を行います。

 

しかし、そのお金は本来政府に納めなければならないお金でした。
反乱同様の行為ですので、当然そんなことは許されるはずがありません。

 

大山格之助は投獄され処刑されます。53歳の生涯でした。

 

西郷どんの大山格之助役は北村有起哉さんが好演

大河ドラマ西郷どんでは、北村有起哉さんが好演しています。
あの力強さは大山格之助の印象に重なります。

 

過去の大河ドラマでは、翔ぶが如くでは蟹江敬三さんが、篤姫では俊藤光利さんが、八重の桜では村上新悟さんが演じています。

 

最後に

大山格之助はなぜ西郷隆盛のため、元士族のために死を覚悟して協力したのでしょうか。

 

鹿児島は武士の力や思想が強いですし、その武士の特権を守るためとも考えられます。

 

しかし、きっとそれだけではなく、西郷隆盛の武士として、そして仲間のために下した最後の決断に応える友情があったのではないかと想像します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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