三吉慎蔵と聞くと真っ先に思い浮かぶのが、薩長同盟時の坂本龍馬の護衛ではないでしょうか。

 

竜馬がゆくをはじめ、多くの小説やドラマで描かれてきました。

 

三吉の生き方をたどると、見えてくるのが真面目さ義理堅さです。
その生き方は男としては惚れ惚れするほどです。今回は三吉慎蔵の生き方から学んでいきたいと思います。

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三吉慎蔵とは

三吉は長府藩に生まれ、藩校明倫館で学びます。
特に槍の技量が高く、宝蔵院流槍術を学び、免許皆伝を受けています。

 

坂本龍馬との関係は有名ですし、後ほど書かせていただくとして、三吉は有能でかつ大変真面目な性格であり、藩主からの信頼も厚かったと言います。

 

また、第二次長州征伐では高杉晋作らと共に幕府軍を倒すことに貢献しています。
高杉晋作の死因、子孫など幕末のカリスマの生涯を徹底紹介

三吉慎蔵出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

坂本龍馬の命を守る

三吉の最大の活躍は寺田屋事件での坂本龍馬救出です。

 

藩からの信頼も厚い三吉は、薩長同盟という長州にとって肝となる事業の最重要人物である坂本龍馬の護衛、および藩との連絡係に任命されます

 

坂本龍馬については詳しくまとめていますのでご覧ください。
関連記事:坂本龍馬のすべて!英雄の魂に熱狂しよう~名言や子孫、最後の暗殺まで

 

龍馬と三吉は下関から歴史の舞台となる伏見に入り、寺田屋に滞在します。
この時期、坂本龍馬は幕府の危険人物として目をつけられており、伏見や京の周辺は2人にとって危険で溢れる状態でした。

 

そんな状況でも何とか龍馬は薩長同盟という大仕事をやり遂げました。
そして事件はその晩、2人が寺田屋で祝杯を挙げていた頃に起こりました。

 

お龍が間一髪で2人に逃げるように伝えた話は有名ですね。
坂本龍馬の妻【おりょうの人生】大英雄の妻の幸福と不幸に迫る

 

事件の詳細は省かせていただきますが、この時寺田屋を取り囲んでいた人数は100人はいたと言いますから、三吉の判断力と強さが相当なものであることがわかります。

 

逃げる時は龍馬は怪我をしており、三吉がいなかったら龍馬は取り押さえられていた可能性も高いです。

 

真面目さと義理堅さで歴史に名を残した

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三吉がいなければ坂本龍馬が生き延びたかわかりません。
つまり三吉は歴史を変える働きをしたのも同然です。

 

龍馬はこの命を持って、この後自身の集大成とも言える、大政奉還に向けて動き出すわけです。

 

三吉慎蔵はその真面目さによって槍の技術を手に入れ、日頃の鍛錬や勤勉さによって坂本龍馬の護衛という重要任務を任されることになったと言えます。

 

また、寺田屋事件を通して龍馬からの信頼は絶大なものとなります。
龍馬がお龍に残した手紙には、自分の身に何かがあれば、三吉を頼るように書かれています。

 

なかなか人になつかなかったと言われるお龍ですので、顔見知りの三吉をという意味もあると思いますが、それだけでは自分の妻の身を預ける存在にはなり得ません。

 

実際に、龍馬が暗殺された後、三吉はお龍を預かり、無事に坂本家に送り届けています。

 

そんな義理堅さが坂本龍馬をはじめ、藩主や藩の仲間の信頼を集めたのではないかと感じます。

 

三吉慎蔵の子孫と墓

三吉は伊予と結婚をしており、2人の間に長男米熊、長女茂子、次女トモが生まれています。

 

長女の茂子は幼くに亡くなったので、実際2人の子供を育てたことになります。
その子孫は現代にも続いております

 

三吉のお墓は山口県下関市の功山寺にあります。

 

最後に

一言で三吉慎蔵はかっこいい男であると感じます。
自分の道、任務にひた走る真面目さ、友人との約束を守り抜く漢気に惚れます。

 

技術は難しいかもしれませんが、その真面目や義理堅さは少しでも真似したいと決意します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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