伊藤博文は二度結婚していますが、女好きで有名です。
その女好きはどれほどかを調べてみましたが、、、
正直ちょっと考えられないほど凄いです。
掃いて捨てるくらい女性がいるので、
「ほうき」というあだ名がついたようです。
伊藤博文は日本一出世した人物ですが、同時に日本一の女好きだったのではないかと感じます。
まさに「英雄色を好む」です。
今回はそんな伊藤博文がどれほど女好きだったかに迫りたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。
伊藤博文の生涯についてはこちらにまとめていますのでご覧ください。
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自宅に芸者を連れて帰る
伊藤は芸者遊びが好きで、どこに行っても芸者遊びをしたそうです。
ある時は自宅にまで芸者を連れて帰ることもあったようで、自宅には妻の伊藤小梅がいるにも関わらずです。
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それも大勢を引き連れて帰り、朝になると芸者たちが着る服に困ると、妻の小梅さんが服を用意したり、ある時は金銭の援助もしたようです。
このエピソードも相当凄いです。
40度の熱があっても芸者遊びをしたというので尋常ではありません。
相手が誰でも女遊び
伊藤は芸者だけではなく、ある意味気に入れば誰でも遊んだと言います。
何人かご紹介します。
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下田歌子
歌人、教育者であり、日本の女子教育の先駆けとなった方です。
順心女学校(広尾学園の前身)や実践女子学園を設立した方で、学校の設立などを伊藤に相談する中で不倫関係を持ったと言われています。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
お相手は13歳?
大坂ミナミで芸者をしていて、伊藤が気に入って連れて帰ったようです。
深い関係にはならなかったようですが、気に入れば誰でもという姿勢が伝わります。
戸田極子
岩倉具視の三女で、鹿鳴館の華と言われた女性で、伯爵戸田氏共と結婚していました。
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スキャンダルとなり、そのことが原因で伊藤は総理大臣を辞職しています。
どこでもどんな時でも女遊び
伊藤はここでもかというくらい場所を選ばず遊んでいます。
イギリス留学で
伊藤は幕末に井上馨らとイギリス留学した経験があります。
その際も伊藤は女遊びにお金を使い果たしてしまい、帰国されそうになったと言われています。
日清戦争中も
日清戦争中、広島に拠点が置かれました。
伊藤はその際も女遊びをしていたそうです。
明治天皇から注意される
伊藤はその度が過ぎる女遊びに対して、明治天皇より注意を受けたことがありました。
その際伊藤は反省するどころか、みんなこそこそやっているだけで、私は堂々とやっていますといったように回答したと言われています。
明治天皇の前でこれからも女遊びをすることを宣言したようなものです。
やはり伊藤にとって女遊びは譲れないことだったことがわかります。
首相官邸が造られた理由
今でも首相官邸があり、歴代の総理大臣が住んでいます。
実はその首相官邸が造られたのには理由があります。
伊藤が女遊びにお金を使いすぎてしまい、家がなくなりそうになったことがあるようです。
若い頃ではありません。なんと総理大臣の頃です。
政府としては首相が家なしでは困ると判断し、早急に首相官邸を建設したと言われています。
最後に
幕末の動乱を生き抜き、近代日本を建国していくトップに立つには、並大抵の神経ではできないはずです。
伊藤博文の並々ならぬエネルギーがわかります。
しかしこれだけ遊べたのも、妻の梅子さんの理解があったからにほかなりません。
時代によって男女の関係や考え方に大きな違いがあったことは間違いありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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