長州五傑(長州ファイブ)、幕末の長州藩からイギリスに留学して偉大な功績を残した5人を称してそう呼びます。

 

映画にもなりましたので、映画がきっかけで知ったという方も多いのではないでしょうか。
私もそうで、映画の評価はさておき、こんな日本人がいるんだという、その偉大さに驚いた記憶があります。

 

私の歴史好き、幕末好きは増していき、こうしてそんな長州ファイブのことをブログに書かせていただいていることにも少し驚いています。

 

今回はそんな長州五傑の生き様や功績から感じるモノから学んでいければと思っています。
いつも私はここの冒頭で、生き方から学ぶと書かせていただいているのですが、5人にはそれぞれの生き様や功績があり、それを簡単に学ぶことはできないように思います。

 

ただ、私が確実に思うのは、何かを感じることはできる、強く感じるモノがある、そう思えてなりません。

 

なお、5人の生涯や功績についてはこれまで各人の記事を書かせていただいてきました。
このページでは各人の詳しい功績についてはそちらの記事をご紹介するとし、このイギリス留学、長州五傑の全体像から見ていければと思います。
どうぞ最後までお付き合い下さい。

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留学が実現できたこと自体が奇跡

この長州五傑のことを考える際に真っ先に思うのが、この留学が実現したこと自体が奇跡であり、当時の関わった方々の凄さを感じます。

 

ご存じのとおり、当時幕府が認めるもの以外は外国との交友、ましてや留学は厳重に禁止されていた時代です。

 

また、この時の長州藩と言えば、強烈な攘夷派な藩であり、留学の翌年には長州征伐、禁門の変が起こっています。

 

そのようなタイミングで藩の重臣である周布政之助が留学することを判断し、藩主に提案して了承を得ています。
明治維新の偉大な立役者【長州藩士周布政之助】高杉晋作を救った男
長州藩主毛利敬親(慶親)の賢さと心意気~誰よりも志を重んじた殿様

 

留学にかかった費用は1人1000両と言いますから、現在の価値にして1億円という大金がかかっています。

 

これほどの大金を捻出することにも驚きますし、藩の決断として若者に期待する心意気に感動します。

 

藩主はもちろん、政治に関わる者、軍事に関わる者、武士以外の者も含めて、志を重視する藩であったことが伝わってきます

 

5人の偉大な功績

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そのように大きな期待を受けて日本を旅立った5人ですが、その旅は楽なものではありませんでした。

 

船の上では水夫として、また「ジャニー」と呼ばれながらも懸命に働き、ようやくイギリスの地に降り立ちます。

長州五傑遠藤謹助(上段左)、野村弥吉(上段中央)、伊藤俊輔(上段右)、井上聞多(下段左)、山尾庸三(下段右)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

簡単に5人をご紹介いたします。順番は私が後程説明しやすくするために並べているだけですのでご了承ください。

伊藤俊輔(伊藤博文)

ご存じのとおり後に初代内閣総理大臣を務め、要職という要職を歴任した近代日本の最大の立役者と言える人物です。

日本初の憲法、大日本帝国憲法を設立したことでも有名です。
【初代内閣総理大臣】伊藤博文とはどんな人?年表でみる人物像と功績

 

井上馨

伊藤博文の盟友とも言える存在で、明治の外務面、財政面を支えた人物です。

その影響力は絶大で、三井物産やみずほ銀行の前身となる企業に関わるなどの活躍もしました。
井上馨の先見の明と資金調達力!鹿鳴館や帝国ホテル、三井物産を創立

 

遠藤謹助

貨幣局長を務め、日本の近代貨幣の製造をけん引した人物です。

その技術への情熱は高く、短期間の間に世界一の貨幣に育て上げました。
【日本の貨幣の父】偉大な功績を残した遠藤謹助は職人気質で公平な男

 

山尾庸三

造船技術や土木工学を学び、工部卿、法務局初代長官、宮中顧問官などを務めました。
東京大学の工学部の前身となる学校の設立に関わり、工業の発展に大いに貢献しました。

また、イギリスで見た手話に感銘を受け、日本初の盲学校の設立を提案し、生涯を通して障害者の社会進出に貢献しました。
山尾庸三は工業と手話を日本に根付かせた【質実剛健のかっこいい男】

 

野村弥吉(井上勝)

日本初の鉄道である新橋~横浜間や、東海道新幹線の開業に携わり、鉄道局長官を務めました。

安全、安心の日本の鉄道の基礎を構築した人物です。
【鉄道の父の生き様】井上勝(野村弥吉)の情熱が凄まじい!

 

いかがでしょうか。

 

5人が5人ともその道の第一人者として日本を支えたことがわかります。

 

実は先に並べた伊藤と井上は留学して半年で帰国しています。
長州が砲撃を受けたというニュース記事を見て、2人はいてもたってもいられず、帰国することを決意しました。

 

3人は帰国を反対しましたが、藩自体、もっというと日本がなくなってしまうというような、強い不安を覚えたに違いありません。

 

それぞれの道を行く5人ですが、私はこの5人がとるべき行動をとったからこそ今の日本があるように感じてなりません。

 

伊藤博文と井上馨は外国の力を自分の目で見て、日本との国力の差を肌で感じたために、帰国すると外国と争うことを止めるように強く訴えます。

 

その行動があったからこそ明治維新の中心的な役割を果たす長州藩が生き残ることができましたし、残った3人がそれぞれの道で技術を学んできたからこそ、新政府ができた後の新国家でリーダー的な役割を果たすことができました。

 

長州五傑(長州ファイブ)から感じるモノ

長州五傑の生き様を通して感じるのが、その誇り高さです。

 

当時世界最大、最強の国であるイギリスから見れば、日本人、または日本などは本当に小さな存在であったはずです。

 

そんな大国にたった5人、実際5人で行動したのは最初だけで、その後は実質たった1人で勉学に励みます。

 

今の時代に留学することとはまったく意味が違います
言葉もわからず、どこから来たかわからない人間がたった1人でその輪に入るわけです。

 

その時、5人が感じた孤独感や劣等感はすごいものがあるはずです。
しかし、そんな中でも5人は力強く、堂々と、必死で学びました

 

その努力は、凄まじかったことが容易に伝わります。

 

私たちの国、日本を創ったのは、強大な誇りを胸に、凄まじい努力を重ねた長州五傑のような人たちでした。

 

とても真似できそうにありませんが、私もその誇りと努力の何分の一かでも行動したい、そう決意します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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