長州藩士、周布政之助(すふまさのすけ)という男をご存じでしょうか。

 

小説や大河ドラマなどを見たことがある方は名前を聞いたことがあると思いますが、何をやったか、どんな人物だったかはあまり知られていないかもしれません。

 

桂小五郎、高杉晋作や伊藤博文などの優秀な志士、人物を長州藩から多く輩出できたのも、周布政之助の力が大きいです。

 

周布政之助がいなければ、歴史どおりの長州藩の活躍はなかったことは間違いありません。

 

今回はそれほどの立役者である、周布政之助の生き方から学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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周布政之助(すふまさのすけ)とは

1823年、長州藩士として生まれました。
早くから政治に関心と情熱を持ちます。

 

藩の財政の立て直しや殖産興業など、改革に対して積極的に動きました。
周布政之助は、藩の重臣にいながら尊王攘夷派として活動します。

 

周布政之助が尊王攘夷派であったことが、長州藩が幕末の中心的な役割を果たしていくことに大きく影響したと言えます。

 

土佐藩などは大藩でありながら佐幕派の上士が多く、幕末が差し迫っても公武合体論でした。
坂本龍馬などの土佐の武士は藩政に関わることができずに脱藩する者が多かったのもこのためです。

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吉田松陰や松下村塾の門下生の理解者

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周布政之助は吉田松陰にも理解を示し、若い志士の志を大いに支援しました。
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また、桂小五郎、高杉晋作などを引き上げ、藩を動かせるように手助けをし、ある時は根回しなども積極的に行いました。
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高杉が藩の重臣である長井雅楽の暗殺を企てたことを聞いた周布は、高杉に上海の出張を提案して命を救いました。
関連記事:高杉晋作の死因、子孫など幕末のカリスマの生涯を徹底紹介

 

伊藤博文井上馨遠藤謹助山尾庸三井上勝(野村弥吉)の長州ファイブのイギリス留学を支援し、判断を下したのも周布でした。

 

過激な考え、行動をする者が多かった長州の志士たちの支援者として、藩の調整を一手に引き受けていたと言えます。

周布政之助

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

酒癖の悪さも一級品

周布政之助は大の酒好きで、酒癖も悪いことで有名でした。

 

ある時などは、土佐藩の山内容堂との酒の席で、容堂を罵倒したこともありました。
その時容堂は藩主という立場ではありませんでしたが、実質的な土佐藩のトップです。

 

その容堂を罵倒するというのですから、どれほどの行動か想像できます。
当然周布政之助はこの行動で処分を受けています。

 

高杉晋作との話も残っています。

 

高杉が野山獄に投獄をされた時のことです。
高杉は来島又兵衛の暴発を抑えるために、藩を飛び出したことがありました。

 

その行為が脱藩であるとされ、高杉晋作は処分を受けることになったのです。
【正義を貫いた来島又兵衛の生き様】高杉晋作、久坂玄瑞との熱い衝突|子孫はいるの?

 

その際、周布政之助は酒で酔っている状態で刀を持って野山獄に押し入ったことがありました。

 

周布の酒癖が悪い行動ですが、しかしそれだけではありませんでした。

 

周布は高杉を励ましたかったのです。
脱藩とされ、処分を受けることになった高杉ですが、周布政之助は心の中では高杉晋作の行動を支援し、藩の将来を託したかったのです。

 

もちろんそのようなことは藩には伝わらず、周布はこの時も処分を受けます。

 

しかし高杉晋作には周布の気持ちは伝わったようで、そのことがわかる日記が残っています。

 

周布政之助の惜しい死

その頃、長州の過激な攘夷活動が続いていました。
池田屋事件、禁門の変などにより、長州藩は窮地に立たされます

 

そのような状況もあり、佐幕派、保守派が藩の中で力を強めます。
尊王攘夷の責任者のような立場にあった周布は、その責任をとって自決しました
42歳でした。

 

周布の死から間もなく、高杉晋作、山縣有朋、山田顕義などの働きによって、長州藩はふたたび倒幕派の勢力を盛り返します。

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やはり惜しい死であったと思えてなりません。
これまでも周布の力は大きかったですが、この後も数々の調整は発生しました。周布がいればもっとスムーズに進められたのではないかと考えてしまいます。

 

大河ドラマ花燃ゆにも登場

大河ドラマ花燃ゆでは、俳優の石丸幹二さんが周布政之助役を演じました。
石丸さんは、ドラマ半沢直樹での活躍が印象的です。

 

石丸さんは、周布が信念の男であったとおり、信念を意識して演じられたと言っています。

 

ちなみに石丸さんもお酒が好きなようで、その点一致していたようです。

 

周布政之助の子孫

周布には息子がおりました。
簡単にご紹介いたします。

 

長男 藤吾
第二次長州征伐で戦死しています。

 

二男 公平
長男の藤吾が早くに亡くなったため、二男の公平が家督を継ぎました。
公平は神奈川県知事、兵庫県知事、第一次山縣有朋内閣では内閣書記官長などを歴任しました。

 

公平の長男 兼道(かねみち)
貴族院議員を務めました。

 

花燃ゆの時には玄孫の方がインタビューに出られており、周布の子孫は現代まで続いています。

 

周布政之助の碑、墓

山口市内に周布の碑が建っています。
明治に入り、周布の功績を讃え、有志が碑を建立しました。今は周布公園となっています。

碑の近くにお墓があります。

 

最後に

私も調べるまで周布政之助という人物が、これほど影響を与えていたとは知りませんでした。

 

大きな志を持った若者を、どうにか支援したいという気持ちで奔走した本物の志士であったと感じます。

 

現代においても、会社や仕事をしていると同じようなケースはよくあると思います。
私も志を持った人と、一生懸命何かに向かう生き方をしたいと決意します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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