長州藩からは4人の維新の十傑が選出されています。
藩としては長州が一番多く、そのうちの一人が前原一誠です。

 

その人望は長州藩でも随一で、倒幕に向けて大きく貢献しました。

 

一方、その人望は不平士族の拠り所となり、萩の乱ではリーダーとなって斬首されることになります。

 

今回は前原一誠の生き方から学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

 

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前原一誠(まえばらいっせい)とは

前原一誠は長州に長州藩に生まれます。
木戸孝允、広沢真臣と同じ年です。

前原一誠

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


幼い頃は貧しい生活を強いられ、陶器製造や農漁業をして生活したそうです。

 

吉田松陰が開く松下村塾に入門して学びます。
吉田松陰とは-松下村塾と弟子たち、墓所もご紹介

 

吉田松陰は、才能や知識は久坂や高杉に劣るが、誠実さなどの人格は前原が上回ると評価したと言われています。

 

しかし金銭的な理由から松下村塾で学んだのは10日ほどでした。
その後西洋学も学びました。

 

倒幕活動

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前原は倒幕活動に力を入れるようになります。
久坂玄瑞らと脱藩して上京し、公武合体を主張する目付の長井雅楽の暗殺の計画をしますが失敗に終わっています。

 

第2次長州征伐では小倉藩攻めの参謀として活躍します。

 

戊辰戦争でも参謀として長岡、会津の戦いで活躍しました。
その功績を認められ、永世禄600石を賜っています。

 

明治政府が樹立すると参議を務めます。

 

徴兵制への反対と萩の乱

軍師としての能力を買われ、大村益次郎のあとを継ぎ軍政を担うことになります。
大村益次郎は天才軍師!!【日本陸軍の祖】靖国神社に建つ銅像の意味

 

前原は、大村が唱えた徴兵制に反対します。
徴兵制に前向きな木戸と山縣有朋と対立することになりました。

 

また征韓論を主張し、明治6年の政変で下野しました。

 

前原は不平士族のリーダーに担がれ、萩の乱を起こすことになります。
戦いは長くは続かず、捕えられると斬首刑となりました。42歳の生涯でした。

 

西郷隆盛と同様、前原は優しく、仲間から慕われる人望がありました。
そして本人も困っている人を放っておけない性格からリーダーに担がれることとなりました。

 

前原らは単に不満で暴れたいわけではなく、明治政府内の不正を正したい、その想いで決起したといいます。

 

その4ヶ月後に西郷をリーダーとして西南戦争が起きます。
西郷隆盛の生涯の知りたいポイントを紹介-妻・子孫、名言も

 

最後に

前原一誠は徴兵制への反対、征韓論の主張と、自らが考える理想を貫きました。
最期まで正義を信じ、貫く政治家でありました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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