初代群馬県令を務めた楫取素彦(かとりもとひこ)は吉田松陰の盟友であり、幕末の長州藩を支え、倒幕を実現させるために尽力した人物です。

 

楫取が残した功績は大きく、創成期の群馬県を創ったと言えます。

 

また、楫取は吉田松陰の妹2人と結婚しており、その経緯や関係には楫取の優しさ、思いやりや男らしさを感じます。

 

楫取素彦の功績を通して、その生き方を学べればと思っています。
どうか最後までお付き合い下さい。

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楫取素彦(小田村伊之助)の妻

冒頭お話しさせていただいたとおり、楫取は吉田松陰の妹と結婚しています。

 

一回目の結婚は楫取が24歳の頃、寿と結婚しました。
松陰はこの結婚を大変喜んだといいます。

 

次に結婚したのが55歳の頃で、久坂玄瑞と結婚して未亡人となった文でした。
文は美和子と名前を変えて、楫取に嫁ぎます。
久坂玄瑞はどんなに凄い人?高杉晋作との友情に迫る!!

 

結婚する際、美和子は久坂とやり取りした手紙を持っていました。
久坂は禁門の変で志半ばに倒れた長州第一の志士でした。

 

そんな久坂の想い、そして美和子の久坂への想いを感じ、楫取は涙したと言います。
久坂の生き様や亡き元夫への想いも一緒に背負って生きた楫取に感動します。

 

そんな楫取に応えるかのように、その後美和子は楫取を支えました。

 

卓越した政治力

小田村伊之助(楫取素彦)出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

幕末の楫取は薩長同盟に尽力し、その後も倒幕に向けて奔走しました。
小田村伊之助(楫取素彦)は坂本龍馬を支えた薩長同盟の功労者

 

明治に入ると、一時は長州に戻り、畑仕事などをして暮らしますが、新政府は楫取の卓越した政治力を放ってはおきませんでした

 

新政府から声がかかり、また政治の世界に身を投じることとなります。
そして初代群馬県令、今でいえば群馬県知事に任命されました。

 

創成期の群馬県を創った楫取素彦

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群馬県令となった楫取は、現代の群馬県の繁栄につながる数々の事業を行いました。
任期は10年に渡り、名県令と称されました。代表的な功績を3つご紹介いたします。

 

1つ目は当時高崎にあった県庁を現在の前橋に移しました。
高崎市民は憤慨したようですが、敷地面積や立地を考えると、当時判断して良かったことであると思います。

 

2つ目は養蚕・製糸業の継承と発展です。楫取が県令を務める頃に富岡製糸場が経営難に陥ったこともあるようですが、楫取は政府に意見書を提出するなどして、富岡製糸場を存続させています

富岡製糸場

3つ目は教育です。明倫校や松下村塾で指導者としての経験もあった楫取ですが、群馬でも教育に力をいれました。全国でもトップクラスの就学率を誇りました

 

最後に

明治維新の走りと言われる松下村塾にも関わり、幕末から明治という動乱を生き抜きました。

 

自らリーダーシップをとることも、周りを引き立てることも、どちらもできた指導者でありました。

 

そんな楫取の元となる人柄は、妻美和子との結婚の時に見せた涙であるように感じます。
相手を思いやること、受け入れる度量を持った、大きな人物が楫取素彦でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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