東京駅には「日本の鉄道の父」井上勝(野村弥吉)の銅像が建っています。

 

長州5傑(長州ファイブ)の一人としても名高い人物です。

 

井上勝はイギリスで鉄道を学び、帰国して新国家が歩む上で欠かせない鉄道建設を一手に引き受け、現在の便利さ、そして世界に誇る安心・安全な鉄道を築きあげました。

 

その功績はあまりに大きいと感じます。

 

井上勝は何を残したのか?その功績に迫ってみたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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安全・安心な鉄道

幕末の長州藩に生まれた井上勝はイギリスに密航してまで鉄道技術を学び、それを持ち帰って日本に大きく貢献しました。

 

井上勝の生涯はこちらでご紹介しています。ぜひご覧ください。
【鉄道の父の生き様】井上勝(野村弥吉)の情熱が凄まじい!

 

日本の鉄道は世界的に事故も少なく、時間に正確であり、世界一安全・安心と評価されるまでになりました。
まさに世界に誇れる産業と言えます。

 

それは井上の意思や考え方が脈々と受け継がれてきたからに他なりません。
歴史と伝統、真摯な姿勢と技術の賜物です。

 

しかし近年では国内でも鉄道に関するトラブルや事故も発生し、その姿勢を正すことを求める声があがっています。

 

きっと井上の意思を受け継ぎ、安心・安全な鉄道を立て直すと信じています。

 

文明国家、経済大国の形成に大きく貢献

明治初期の日本には豊富な財源があったはずもありません。

 

井上が鉄道建設を進めることに反対する者も多く、どの沿線と作るかなどについても揉めることも常でした。

 

それでも井上はいくら反対されようが、どんなに嫌われようが、自分の信じた信念を貫き、一歩一歩鉄道建設を進めました

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明治初期の交通は歩くしかありませんでした。
馬などを使えるのはごく一部の地位に就く人だけで、一般的にはどんなに遠くても歩くしかなかったのです。

 

坂本龍馬が土佐藩から江戸に剣術修行に来た時も歩いてですし、九州薩摩藩から島津斉彬に連れられて西郷隆盛が江戸に来たのももちろん歩いてでした。

 

また、幕末が差し迫ると多くの志士たちは江戸と京の間を歩いて何往復も行き来しました。

 

そんな状態であった日本に、数年後には鉄道が走ったのです。
それがどれだけ当時の日本に衝撃的だったかを考えると血がのぼるようです。

 

また、日本はご存じのように山々が重なった地形をしています。
そんな日本だからこそ鉄道の必要性は高く、また一方で建設が困難でした。

 

日本は鉄道の普及に比例するように発展し、そしていつしか先進国と言われるようになりました。

 

井上勝の墓と銅像

井上の墓は東京都品川区にある東海寺にあります。

井上勝銅像
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

また、銅像は東京駅に建立されています。
初めて造られたのが1914年で、その後戦争があったために撤去されましたが1959年に再建されました。

 

駅の改修工事などで一時撤去されましたが、2017年に再び設置されました。

 

東京駅と言えば日本中の駅の中心となる駅です。
その駅に銅像が建立されていることが、井上勝の功績を物語っています。

 

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