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薩長同盟、大政奉還など、明治維新の実現において大きな役割を果たした坂本龍馬。

 

まさに明治維新の英雄である坂本龍馬の成し遂げたことやエピソードなどを聞くと、器はもちろん体格も大きいのではないかと思ってしまいますよね?(^^)

 

当時は今のように健康診断などがあって定期的に身長や体重を測る習慣はなかったので、坂本龍馬の正しい数値が残っているわけではありません。そのため様々な角度から検証されています。

 

今日はそんな坂本龍馬の身長と体重について、有力説をご紹介いたします。

 

坂本龍馬の生涯や功績についてはこちらにまとめていますのでぜひご覧ください。
関連記事:坂本龍馬のすべて!英雄の魂に熱狂しよう~名言や子孫、最後の暗殺まで

 

江戸時代の平均身長は?

坂本龍馬の身長を見ていく前に、江戸時代の平均身長がどれくらいだったのかをみていきます。

 

男性の平均身長が約157cm女性の身長は約145cmだったようです。

現在の身長と比較すると、だいぶ小さいですよね!

 

当時の身長が小さいのは食生活の影響が大きいと言われています。

もちろん身分によって食事の内容はだいぶ違ったようですが、共通して言えるのは肉を食べる習慣がなく、主なタンパク源は魚と豆類でした。

 

魚といっても、現在と比較すると十分に食べていたわけではなかったようなので、江戸時代の食事はいわゆる粗食でした。

下級武士、農民などは十分に白米すら食べられないような人も多かったようです。

 

そのような食生活ですから、当然体を大きくすることができず、低身長だったということですね。

 

坂本龍馬の身長と体重について

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竜馬がゆくには5尺8寸であったと書かれていますよね。

一尺は30.303cm、一寸は3.03cmですから、約176cmということになります。

 

その数字は概ね正しいと思われることを、明治に入ってから龍馬をよく知る人物が発言しています。

 

ひとりは田中光顕(たなかみつあき)で、坂本龍馬の身長は5尺7寸(173cm)であったと証言しています。

田中光顕は土佐出身で、後に宮内大臣を長く務めた方です。土佐勤王党にも参加し、その後陸援隊の副隊長として中岡慎太郎らと共に活躍するなど、維新前もその後も多大な貢献をしました。

 

もうひとりは関義臣(せきよしおみ)(別名に山本龍二郎、関龍二がある)で、5尺8寸(176cm)であったと言っています。

関義臣は福井藩出身で、後に大阪府権判事、徳島県知事、山形県知事などを務めた方です。海援隊に参加して坂本龍馬らと共に活躍しました。

 

最後は信太歌之助(しのだうたのすけ)で、5尺9寸(179cm)と証言しています。

信太歌之助は銚子出身の幕臣で、柔術家でした。槍の名人で、京都で道場を開いていた際に坂本龍馬と手合せしています。

 

また、坂本龍馬が着ていたとされる紋服から推測し、170cmを少し超えるくらいではないかという検証もされました。

 

その紋服のサイズから体重は80kgであったと推測されています。

剣術を極めていたので、かなり筋肉質であったようです。

 

一方で、坂本龍馬の身長は169cm以下であったという説もあります。

龍馬が着ていた着物の袖幅を使った測り方で、袖幅が6cmか6.5cmであったことから、計算すると169cm以下であったとの推測がされています。

着物や立ち姿など、すべて直線で測れるわけではないので、正確性に疑問を感じますが。。

 

お姉さんの坂本乙女の身長と体重

龍馬の実のお姉さんである、坂本乙女は身長174,5cm、体重110kgを超えると言われています。

「坂本のお仁王様」というあだ名は伊達ではありません。。^^;


出典:https://ja.wikipedia.org/wiki

しかし、残っている写真などから、そこまで体重はなかったのではないかと推測されています。

 

いずれにしても平均身長から30cmも大きかったことを考えると、相当目立つ体格であったことは確かです。

 

まとめ

諸説ありますが、生前一緒に行動した人物がそうそう身長を大きく勘違いするということは考えにくいです。

幅はありますが、170cmを超す身長、がっちりとした体格であったと考えられます。

実は諸説あるのは身長だけではありません。
ぜひこちらもご覧下さい。
坂本龍馬の誕生日と命日は同じ?11月15日の真相!!

 

もちろん大柄な家系であったという遺伝、また坂本家は裕福であったため当時としてはしっかり栄養をとれていたことも体格につながったのかもしれません。

 

低身長になるほどの食生活であったにもかかわらず、志士たちが強力なエネルギーで活動し、明治維新につなげたことを考えると、やはり志士たちの思考や精神はすごいと感じます。

 

この当時の大柄の人物と言えば、忘れてはならないのが西郷隆盛です。
龍馬と西郷、2人の絆と信頼が歴史を創りました。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!

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