横井小楠は数々の幕末の志士を動かし、その思想は越前福井藩主の松平春嶽や徳川慶喜にまで影響を与えました。

 

事実、横井小楠の意思は坂本龍馬に受け継がれ、新しい歴史を創ることになります。

 

勝海舟は小楠のことを、恐ろしい人物という言い方で評価しました。

 

今回は横井小楠の生き方から学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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横井小楠とは

横井小楠は熊本に生まれた儒学者、思想家です。

横井小楠

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


8歳で藩校時習館に入学し、28歳の時に塾長を務めました。

小楠の優秀さは藩が認めるほどであったことがわかります。

 

その後江戸に遊学し、水戸藩の藤田東湖など多くの人物と交流して見聞を広めました。

 

そんな小楠ですが、酒が度が過ぎるほど好きという面があり、トラブルを起こすことがあったそうです。
実際江戸でも問題を起こして、その処分によって藩に戻されます。

 

藩に戻ると「小楠堂」という私塾を開きます。
吉田松陰も訪れたと言われています。
吉田松陰とは-松下村塾と弟子たち、墓所もご紹介

 

小楠の思想は江戸での遊学を通してさらに確固たるものとなり、藩に提言します。

 

その内容は幕藩体制を批判し、身分制度を改めて開国を提案するものであり、藩には受け入れられることはありませんでした。

 

小楠は本もいくつか出版しており、「国是三論」が有名です。

 

松平春嶽の懐刀に

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小楠の門下生に越前福井藩の者がおり、そこから福井との縁ができます。

 

橋本佐内の推薦もあり、小楠は越前福井藩主松平春嶽の顧問として活躍することとなります。
橋本佐内の死は倒幕に火を灯した【西郷隆盛の盟友、努力の達人佐内】

 

小楠は貿易を推奨し、三岡八郎(後の由利公正)に指導し、福井藩の財政の立て直しに貢献しました。

 

小楠は春嶽に参勤交代の廃止、海軍の設立、人材登用などの「国是七条」を提言し、徳川慶喜にも直に会っています。
徳川慶喜【大政奉還の真実】二条城での大英断はなぜ行われたのか?

 

その頃小楠は、武士は刀を持っているだけではなく、商売をするべきであると説き、その先進的な思想は命を狙われることになります。

 

小楠は刺客に狙われます。
その時小楠はなんとか逃げますが、仲間を置いて逃げたことが武士として許されない行動であるとされ、蟄居処分を受けます。

 

四時軒(横井小楠記念館)

47歳の頃、私塾「四時軒」(しじけん)を設立します。
蟄居になった小楠はこの四時軒で過ごすことになります。

 

今は有形文化財として、横井小楠記念館と共に運営されています。

 

坂本龍馬の師

横井小楠を有名にしたのも坂本龍馬との関わりが大きいとされています。
坂本龍馬の「日本を洗濯する」という表現は小楠の影響であったと言われています。

 

松平春嶽の紹介で会ったことがきっかけでした。
松平春嶽は坂本龍馬の大恩人【春嶽の偉大な決断と龍馬の交渉術】

 

神戸海軍塾の資金提供についても、小楠に認めてもらうことができたおかげで春嶽の承認が得られたと言えます。

 

龍馬は3度熊本の小楠のところに会いに行っており、船中八策や五箇条の御誓文の元となる考え方は小楠から受けたものであるといいます。

 

最期は暗殺される

明治政府が樹立すると参与を務めますが、1年も経たずに暗殺されることとなります。

京都で6人の刺客に襲撃され、61歳で生涯を終えました。

 

最後に

新政府の基礎となる思想を身につけ、実際それが実現されるというのは本当に偉大な功績であると感じます。

 

小楠が蟄居処分を受けることとなった事件でわかるとおり、当時何よりも大切にされていた武士としての誇りや姿勢よりも、小楠は将来の日本の在り方に対して行動することの方が大切であると考えていたように思います。

 

それは危険が伴う非常に勇気がいる考え方であり、行動であったと想像できます。

 

小楠には勇気がありました。
それが新しい歴史を創ることにつながりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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