東龍太郎(あずまりょうたろう)。
東京都知事としてオリンピック招致に尽力、その後インフラ整備などの難しい問題を解消させ、見事に東京オリンピックを成功に導いた人物です。

 

都知事になる前は、医師として日本のスポーツ医学の発展に貢献しました。

 

医師・教育者・政治家として活躍した東龍太郎ですが、その能力はあまり高く評価されていない点もあり、批判を受けることもあります。
名を残す人物には評価も批判もつきものです。

 

東龍太郎の生涯をたどると、私たちも学べることが多くあるように感じます。
どうぞ最後までお付き合い下さい。

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東龍太郎(あずまりょうたろう)の生涯

東龍太郎(あずまりょうたろう)は、明治26年(1893年)に大阪に生まれます。
父が医師でした。

 

父の影響もあったのか、東京帝国大学医学部に入学します。
卒業後はロンドン大学に進学して物理化学や生理学を学びました。

 

びっくりするほど優秀ですね^^;
しかも学問だけではありません。

東は大学ではボート選手として活躍しました。
学生時代にスポーツに励んだ経験も、のちのオリンピック関連の仕事に活きたことが想像できますね。

 

スポーツ医学・オリンピックの重鎮に

東龍太郎(あずまりょうたろう)
出典:wikipedia

大正15年(1926年)に医学博士となります。
昭和9年(1934年)には東京帝大の教授に就任しました。

 

戦争中は海軍司政長官・南西方面海軍民政府衛生局長・結核予防会理事などを歴任します。

 

戦後は厚生省医務局長を務め、茨城大学の学長にも就任しました。
医師として、教育者として凄い活躍ですね。

 

オリンピックにも深く関与するようになり、日本体育協会会長や日本オリンピック委員会委員長を務めます
さらに、16年間に渡りIOC委員も務め、この時の東龍太郎の貢献が東京オリンピックの招致にも影響しました。

 

都知事として東京オリンピック招致・開催を成功

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昭和34年(1959年)、東龍太郎は自民党の推薦を受けて、東京都知事に立候補して当選します。2期8年務めました。

 

1964年の東京オリンピック招致の際は、田畑政治と協力し合って見事に成功させます。

関連記事:田畑政治の生涯~オリンピック招致という偉業!いだてんは阿部サダヲ

 

IOC総会で最終プレゼンをした平沢和重を推薦したのは東です。

関連記事:平沢和重の生涯~名スピーチの真実が熱すぎる!いだてんは星野源さん

 

招致を成功させたのは良いですが、当時の日本は交通機関や開催場所など、オリンピックを行うには問題が山積みでした。

 

東たちがそういった問題を1つ1つ解消させたおかげで東京オリンピックは開催できたのです。

 

また、東京にオリンピックを呼ぶという大プロジェクトを成功させたのは、副知事の鈴木俊一の手腕によるという評価があります。
「東副知事・鈴木知事」などと言われるほどだったようです。

 

鈴木俊一が能力を発揮して、多大な貢献をしたのは間違いないでしょうが、東が無能と言われるのはまた違うように感じます。

 

良く言えば、東は副知事が能力を発揮できるような環境を創ったわけです。
いずれにしても、「東京オリンピック」という大プロジェクトの成功に東龍太郎が与えた影響は多大です。

 

また、オリンピックの後には公害問題が発生しました。
戦後からの復興、高度経済成長の代償とも言うべき問題が顕著化したのです。

 

その他にも都心近郊の水不足の問題に追われるなど、東は難問に対処し続けました。

 

問題が起こるたびに東は批判を受けました。
事前に問題を回避できなかった、スムーズに対処できなかったのは事実なのかもしれません。

 

しかし、戦後の復興も経済成長、そして短期間でのオリンピックに向けた整備と、全員とは言えませんが、多くの都民・国民が望んだことのように感じます。

 

代償は当たり前だとは断固言いません。
ただ、そこまでの大きな代償を誰だったら回避できたのでしょうか。
いくら都知事とはいえ、一人の政治家が背負いきれる大きさではないように感じてしまいます。

 

東は決して決断できなかった政治家ではありません。
ある時住居表示に関する議論が起き、昔から使われていた町名を東が一斉に変更したことがありました。

 

その時も大きな批判を受けたようですが、東が勇気をもって決断したわけです。

 

都知事が処理することというのは、様々な想いや利害が関係しておりますし、一人で決められない問題も多いはずです。

 

評価は見る側面によって大きく違います。
私は、東龍太郎が都民・国民の期待に懸命に取り組み、そして東京・日本の飛躍に大きく前進させたことに間違いはないように感じます。

 

東は人柄が良く、偉ぶるようなことは決してなく誰にでも平等に接する人物だったそうです。

 

東龍太郎の晩年

都知事を退任すると、東は東邦大学の学長に就任しました。
学生からも学ぼうとする東がイメージできます。

 

東と妻の照子との間には3人の男子が生まれました。
二男の健彦は順天堂大学の理事長を務めた人物です。

 

東は昭和58年(1983年)に肺炎で亡くなりました。90歳でした。

 

いだてんの東龍太郎役は松重豊(まつしげゆたか)さん

松重豊はいだてんの東龍太郎役
出典:oricon.co.jp

大河ドラマ「いだてん」の東龍太郎役は松重豊(まつしげゆたか)さんが演じられます。

 

第一話に登場されましたね。
主には後半の東京オリンピック招致のときの登場になるので、次の登場は梅雨の頃でしょうか。

 

松重豊さんは学生の頃から演劇を学び、現在ではベテラン俳優として数々の作品に出演されています。

 

優しい役からあの高身長を活かした迫力のある演技まで、幅広い役を演じますよね。
「孤独のグルメ」でファンになった方も多いのではないでしょうか。

 

大河ドラマは毛利元就(1997年)、北条時宗(2001年)、八重の桜(2013年)に続き4度目の出演です。

 

後半の主役の阿部サダヲさん(田畑政治役)との絡みも多いことが予想されます。
松重豊さん(東龍太郎役)は夏以降のキーとなる人物の一人ですね!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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