中沢臨川(なかざわりんせん)。
日本初の本格的なグラウンドである、羽田運動場の建設に大きく貢献した人物です。天狗倶楽部のナンバー2でもありました。

 

また、職業としては電気学の専門家であり、文芸評論家でもあった多才な男でした。

 

大河ドラマいだてんでは近藤公園(こんどうこうえん)さんの配役が決定しています。

 

今回は中沢臨川の生涯をたどり、その生き方を学んでいきたいと思います。
どうぞ最後までお付き合い下さい。

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中沢臨川(なかざわりんせん)の生涯とは

中沢臨川(なかざわりんせん)は、明治11年(1878年)に長野県で生まれました。
本名を重雄といいます。

「養命酒」を造る名家

中沢臨川の実家は、養命酒を製造する庄屋でした。
そうです、あの養命酒です。

 

私が一番印象に残っているのは藤田まことさんのCMです。

養命酒が造られたのは古く、徳川家康にも献上したことがあったそうです。
地元では相当な名家だったことがわかりますね。

 

中沢臨川の弟は海軍大将塩沢幸一

塩沢幸一の弟には、海軍大将を務めた塩沢幸一がいます。

 

山本五十六の同期で、山本よりも一年早くに大将についていますので、その優秀さがわかります

 

山本五十六が連合艦隊司令長官として戦死した際、塩沢幸一は国葬の司祭長を務めています。

 

また、山本は養命酒を愛飲しており、山本が軍の会議に持っていたことがきっかけで世界に輸出されることになったと言われています。

 

中沢臨川は文学に熱心な青年

中沢臨川は文学への関心が高く、日本の詩などはもちろん、西洋文学も好きで、特に「レ・ミゼラブル」にはまっていました。

 

明治32年(1899年)には結婚して中沢姓になります。
この時養子に入る条件として、学費の工面があったそうです。

 

その約束どおり、明治34年(1901年)には東京帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)に入学しました。
兄弟そろって優秀だったということですね。

 

中沢は電気学を学ぶかたわら文学も続け、仲間と「やまびこ」を創刊するなどの学生生活を送ります

 

天狗倶楽部への参加と羽田運動場の建設

中沢臨川(なかざわりんせん)
出典:wikipedia

卒業後の中沢臨川は、東京電気鉄道会社(都電の前身)や京浜電気鉄道会社(現在の京浜急行電鉄)に勤めます。

 

また、冒険小説家の押川春浪と中沢は友人関係にあり、押川が天狗倶楽部を創設するとナンバー2として参加します。

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そしてその頃、押川が酒の場で、学校以外の場所でも運動ができる場所があれば良いと言ったことに対し、中沢は応えます

 

当時京浜電鉄の電気課長だった中沢は、上司にかけあって羽田にあった1万坪を提供してもらうことに成功しました。

 

そうしてできたのが羽田運動場でした。
会社からの資金だけでは足りず、中沢は自分の資金も使ったと言われています。

 

羽田運動場は天狗倶楽部のメイン活動拠点にもなり、野球やテニスなどを楽しめるようになりました。

 

ストックホルムオリンピックの予選会にも尽力

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明治44年にはストックホルムオリンピック予選会が予定されます。
そこで問題になったのは陸上競技場でした。

 

予選会をやれる場所がなかったのです。
そこで奔走していたのが当時日本体育協会の理事を務める大森兵蔵でした。

関連記事:大森兵蔵は日本にバスケとバレーを広めた男!いだてんは竹野内豊さん

 

大森は羽田運動場を改修することを提案し、ようやく予選会が開催されたのです。

 

この時の予選会でオリンピック出場の切符を得たのが金栗四三と三島弥彦でした。
三島弥彦は天狗倶楽部のメンバーでもありました。

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つまり、中沢臨川の尽力によって建設した羽田運動場は、日本オリンピックの出発点と言えます。偉大な功績です。

 

文学者としての中沢臨川

中沢臨川は鉄道会社で働きながらも執筆活動を続けていました。
明治38年(1905年)には初めての作品集である「鬢華集」を発表します。

 

その後「中央公論」で執筆する機会が増え、大正3年から大正5年までは文芸時評欄を担当しました。

 

その後長野に帰り、会社経営をしますがうまくいきませんでした。
その頃小説「嵐の前」を発表しています。

 

酒の量も増え、体調を崩すことも多くなります。
その点親友の押川春浪と似ていますね。

 

大正9年(1920年)に咽頭結核で亡くなります。42歳でした。

 

大河ドラマいだてんの中沢臨川役は近藤公園さん

近藤公園はいだてんの中沢臨川役
出典:thetv.jp

大河ドラマ「いだてん」の中沢臨川(りんせん)の配役は近藤公園さんです。

 

近藤公園さんと言えば、ウォーターボーイズでブレイクしました。

その後「隠し剣 鬼の爪」や「武士の一分」など、山田洋次監督の作品には欠かせない存在です。
藤沢周平の大ファンの私にとっても欠かせない俳優さんです(^^)

 

直近では「空飛ぶタイヤ」にも出演されていましたね!
大河ドラマは初出演となりますが、熱を帯びた時代を生きた中沢臨川を近藤さんがどう演じられるのか楽しみです。

 

最後に

中沢臨川は、なぜ押川春浪から聞いた運動場の建設に尽力したのでしょうか。

 

いくら親友とはいえ、自分の仕事にも影響しますし、ましてや自分の資金まで使ってのことです。

 

はっきりとした記録は見つけられませんでしたが、やはり押川との熱い友情だったのではないかと思うのです。

 

押川は38歳で、その6年後に中沢も42歳という若さでこの世を去っています。

 

どこか2人からは、尋常ではないほどの熱量を感じます。
熱く、太く生きた中沢臨川の生涯に感服します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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