平沢和重(ひらさわかずしげ)。
1964年の東京オリンピックを招致する際、IOC総会の最終プレゼンという大役を果たした人物です。

 

当時日本の前評判は圧倒的に不利でしたので、平沢のスピーチがなければ1964東京オリンピックは開催されていなかったかもしれません。

 

大河ドラマ「いだてん」では星野源さんが演じ、2020東京オリンピックを目前に再注目されるだろう人物です。

 

平沢は「日本スポーツの父」、「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎の最期を看取りました。

 

そんな奇跡的な出会いと、世界的にも評価された平沢の秀でた能力によって「名演説」が完成したのです。

 

今回は平沢和重の生涯、生き方から学んでいければと思います。
どうぞ最後までお付き合い下さい。

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平沢和重(ひらさわかずしげ)の生涯とは

平沢和重はエリート外交官

平沢和重は明治42年(1909年)に香川県丸亀市で生まれます。

 

昭和10年(1935年)に東京帝国大学を卒業すると、外務省に入省します。
その時点で相当優秀な人物であることがわかりますね。

 

アメリカのメイン州にあるベイツ・カレッジにも留学した経験があります。

 

外交官として駐米日本大使秘書官、ニューヨーク領事などを務めました。

 

嘉納治五郎との奇跡的な出会いと別れ

外交官として仕事をする中で、昭和13年(1938年)に平沢にとって奇跡的な出会いがありました。
それが嘉納治五郎です。

関連記事:【柔道の父】嘉納治五郎の偉大さ!名言や子孫は?熱い生き様と死に様

 

昭和13年(1938年)、この年日本のオリンピックの歴史の中で大きな出来事がありました。

 

後に戦争が理由で中止となりますが、東京オリンピックの招致に成功したのです。
嘉納治五郎はカイロで行われたIOC総会で見事に東京オリンピック招致を決定させ、氷川丸で帰国の途でした。

 

平沢もバンクーバーから横浜に帰国する途中であり、その船の上で偶然にも嘉納治五郎と出会うのです。

 

当時の日本には2人のように世界を知っている、世界から見た日本というものを実感している人物は少なかったはずです。

 

そのことを考えると、年齢は大きく差があれど気が合う点、気持ちが通ずる点があったのではないでしょうか。

 

交流を深める2人ですが、船上で嘉納が肺炎を引き起こし、そのまま亡くなってしまいました。

 

後に1964東京オリンピックのスピーチの際、平沢は「嘉納治五郎を看取った人物」として紹介されます。

 

それほど嘉納治五郎はIOCの中で圧倒的な信頼があったということが言えます。

 

NHK解説委員として活躍

平沢和重(ひらさわかずしげ)の写真
出典:twitter.com

エリート外交官であった平沢和重ですが、外務省を退官します。
昭和24年(1949)からNHK解説委員を務めました。

 

平沢はNHK解説委員として26年間活躍しますが、その間ジャパンタイムズの編集主幹や、産経新聞論説顧問を務めるなど幅広く活躍することになります。

 

通称「野球協約」、日本プロフェッショナル野球協約をまとめたのは平沢でした。
プロ野球選手の契約などの手続きを定めた協約のことですね。

 

アメリカから取り寄せた元データを、日本版に編集したのが平沢だったのです。

 

平沢和重は東京オリンピック招致には反対だった

東京オリンピックの招致において、決定的な活躍をした平沢和重ですが、当初はオリンピック招致には反対でした。

 

当時は敗戦後の復興中で、まだまだ日本はオリンピックを呼べる状態ではないと考えていたのです。
自ら出演するNHKのテレビなどでも反対であることを主張していたそうです。

 

しかし最終的な立候補趣意説明では平沢和重がプレゼンします。

 

それにはトラブルがあって、もともとプレゼン担当であった外交官参事官の北原秀雄が怪我をしたので、急きょ平沢が担当に指名されました。

 

推薦したのは当時の東京都知事であった東龍太郎や、日本オリンピック委員会常任委員の岩田幸彰でした

 

大きな理由は2つあって、1つは外交官の経験もあったので英語が堪能だったこと、そして嘉納治五郎を看取ったという経験をしていたからでした。

 

平沢和重の「名演説」の内容と真意

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昭和34年(1959年)、1964年のオリンピックの開催地を決定するためのIOC総会がミュンヘンで行われます。

 

最終プレゼンをするということは、決定に大きな影響を及ぼします。
代役とはいえ相当な大役ですよね。

 

2020東京オリンピックの決定の際、滝川クリスタルさんが「おもてなし」という言葉とジェスチャーでプレゼンしたことが大きく取り上げられました。
平沢がやったことはつまりあの役割です。

 

プレゼン本番、平沢はなんと予定していた1時間のプレゼンから15分に縮めたのです。

 

平沢はプレゼンを聞く側の委員たちが疲れていることを感じたので、内容を短縮して伝えたいメッセージを強調したそうです。

 

1時間は長いとは言っても、決して薄い内容ではないはずです。
外務省の優秀な人たちが、練りに練ったプレゼン内容です。

 

それを変更する、しかも4分の1に短縮するわけですから、相当凄いことですよね。
平沢としてもかなり勇気がいる決断だったはずです。

 

この時に平沢がスピーチした内容がこちらです。

「日本は極東と呼ばれているが、飛行機の時代になり極東ではなくなった。国際理解や人間関係の心の距離を消すには人と人が直接会う事が一番で、お互いに理解する事から世界平和が始まる。今こそオリンピックをアジアで開くべき時。」

 

平沢は「極東」という言葉を使いましたが、この言葉はヨーロッパから見たら極東である、東に遠い国でだから言われた言葉です。

 

オリンピックは世界平和を目的とした、世界全体の祭典です。

 

平沢は「極東」を強調することで、ヨーロッパから遠い日本でも、アジアでもオリンピックを開催するべきということをより際立たせたのです。

 

また、国際理解や人種・人間関係は理解しようとすること、そして直接会うことが重要であることを説いて、世界平和のため、オリンピックの目的を果たすにはアジアで開催するべきであることを主張しました。

 

この考え方は嘉納治五郎の意志であったと言われています。
平沢和重は嘉納治五郎の意志を受け継いだのです。

 

この時デトロイト、ウィーン、ブリュッセル、そして東京が候補地で、決して日本は有望視されていませんでした。

 

しかし、プレゼン終了後の結果としては、デトロイト10票、ウィーン9票、ブリュッセル5票に対し、東京は34票と大勝して見事オリンピックを呼びました。

 

どれほど平沢和重のスピーチが良かったか、IOCの心に刺さった演説だったかがわかりますね。

 

嘉納治五郎の影響

嘉納治五郎はアジア初のIOC委員として、日本がアジアで初めてオリンピックに参加した時から尽力し、その後文字通り命をかけてオリンピックの招致に貢献しました。

 

日本のオリンピックは嘉納治五郎の働きがなければ歴史通りにはならなかったことは間違いありません。

 

1964東京オリンピック招致のスピーチは、平沢和重の能力と勇気、意志によって実現したことは確かです。

 

しかし、スピーチの前の「嘉納治五郎を看取った男」と紹介されたことで、IOC委員らが平沢のスピーチを聞く姿勢を変化させたことも確かです。

 

嘉納治五郎は亡くなった後でも、日本のオリンピック、さらに日本スポーツ全体に貢献したと言えるのではないでしょうか。

関連記事:【柔道の父】嘉納治五郎の偉大さ!名言や子孫は?熱い生き様と死に様

 

世界的にも評価された平沢和重

平沢和重は当時の日本人としてはめずらしく、世界的にも高く評価されました。

 

精神論ではなく論理的な思考を持ち、広い視野で物事を遂行できるというのは世界的・国際的にも認められるに値しました。

 

平沢和重は昭和35年にはNHK放送文化賞を受賞し、また田中角栄の後に自民党総裁に就任した第66代内閣総理大臣の三木武夫の外交ブレーンとしても活躍します。

 

そして昭和52年(1977年)に67歳で亡くなりました。癌でした。

 

いだてんの平沢和重(ひらさわかずしげ)役は星野源

星野源は平沢和重を演じる
出典:NHK

大河ドラマ「いだてん」の平沢和重役は星野源(げん)さんです。

 

言葉選ばずに言いますが、星野源さんメチャクチャ人気ですよね!
歌手としても俳優としても、登場すれば注目される存在です。旬な芸能人の代表のような活躍ぶりですよね。

 

歌手としては紅白に4回出場しており、常にピックアップされる存在です。

 

また俳優としても実力・人気ともに誰もが認めるところす。
2014年に「箱入り息子の恋」、「地獄でなぜ悪い」で第37回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞されました。

 

記憶に新しいのは2017年の「逃げるは恥だが役に立つ」でヒロインの相手役をして、その年のザテレビジョンドラマアカデミー賞で助演男優賞を受賞しました。
主題歌の「恋」も大ヒットしたことは言うまでもありません。

 

大河ドラマとしては2016年の真田丸に徳川秀忠役で出演し、今回のいだてんで二度目です。

 

英語が堪能な平沢和重役ということで、今回のいだてんのために英語を猛勉強したそうです。
第一回でも登場し、スピーチでの英語が注目され、早速発音の良さが評判になっています。

 

前半の登場は少ないかもしれませんが、星野源さんが演じる平沢和重役は今後も楽しみですね(^^)

 

最後に

地頭が良いこともあるのでしょうが、やはりあの当時に英語を習得するというのは大変な努力が必要だったのではないでしょうか。

 

私がその生涯をたどって感じるのは、平沢和重という人は、目的を見据えた上で徹底して論理的に考え抜くことができ、最善であると信じたことを断行できる勇気がある、そして根っこにあるのは人の想いに共感する「熱」を持ち合わせた男であったということです。

 

そして平沢から発せられた熱によって、東京オリンピックを呼び寄せました。
本当に偉大な功績です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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