内田定槌(うちださだつち)。
明治から大正にかけて活躍した外交員です。

 

大河ドラマ「いだてん」に登場予定なので、再注目されるだろう人物です。

 

今回は内田定槌の生涯をたどりながら、その生き方を学び、いだてんをさらに楽しめるような情報をお伝えしたいと思います。

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内田定槌(内田公使)の生涯とは

内田定槌(うちださだつち)は、まだ江戸時代だった1865年に現在の福岡県北九州市に生まれました。

 

明治22年(1889年)に東京帝国大学法科大学を卒業します。
非常に優秀だったことがわかりますね。

 

大学卒業後は外務省に入ります。
上海、朝鮮、ニューヨークの領事を務め、その後ブラジルの公使となります。ブラジルでは移民開始の手続きを行います。

 

続いてスウェーデン公使、デンマーク公使、ノルウェー公使と歴任し、トルコ大使に就任しました。

 

スウェーデン公使時代には第一次世界大戦が勃発し、日本とドイツの連絡係として奮闘しました。

 

長年の功績が認められ、大正9年(1920年)には勲一等瑞宝章が授与されています。
内田は昭和17年(1942年)に亡くなりました。

内田定槌(うちださだつち)
出典:cenb.org.br

ストックホルムオリンピックのサポートを行う

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スウェーデン公使時代には、ストックホルムオリンピックが開催されました。

 

日本が初めて参加したオリンピックです。
嘉納治五郎を選手団長に、マラソンの金栗四三、短距離の三島弥彦が出場します。

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大河ドラマいだてんの舞台ですね。
当時海外に行ったことがある日本人は極めて稀でした。

 

金栗や三島らは初めてのオリンピックということはもちろん、初めて日本を出るというもかなりの障害だったのです。

 

内田定槌(うちださだつち)は公使として、金栗や三島らをサポートしました。
右も左もわからない日本選手団にとって、内田は心強い存在だったはずです。

 

内田定槌の邸宅は国の重要文化財

内田定槌の邸宅、外交官の家
出典:snaplace.jp

明治43年、横浜に建てられた内田定槌の邸宅は国の重要文化財となっています。

 

周辺には他にも多くの洋館が立ち並ぶ場所で、異空間のような雰囲気すらあります。
その中でも内田邸は非常に立派で、綺麗な庭園と洋館、貴重な家具の数々はそれだけ価値のあるものということですね。

 

いだてんの内田定槌役は井上肇(はじめ)さん

井上肇さんはいだてんの内田公使役
出典:oricon.co.jp

大河ドラマいだてんの内田定槌(さだつち)役は井上肇(はじめ)さんです。

 

見るからに絶対優しいだろうと思ってしまう井上さん(^^)
私も大好きな俳優さんです。

 

井上さんは八重の桜(2013年)の伊地知正治役、軍師官兵衛(2014年)の荒木久左衛門役に続き三度目の大河ドラマ出演です。

 

最後に

内田定槌(さだつち)は江戸から明治、大正、昭和と生きた人物です。
なんか凄いですよね。

 

内田が外交官を務めた時代は戦争をはじめとして国と国、人種や民族への考え方や接し方が混沌としていた時代だったのではないでしょうか。

 

そんな時代に外交官を務め上げるには、確固たる信念や柔軟な思考が欠かせなかったはずです。
内田の有能さが並ではなかったことがわかります。

 

明治・大正・昭和を生き抜いた内田定槌(さだつち)に感服いたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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