幕末の四賢侯の一人、松平春嶽は10代から藩の改革に乗り出し、次々と成果を上げていきます。

 

また、坂本龍馬との関係が示すように、古い固執した考えにとらわれず、平らな目で人物を評価し、新しい考え方を積極的に取り入れることができるリーダーでした。

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松平春嶽の生き方からは現代にも活かせる多くのことを学ぶことができます。
どうか最後までお付き合い下さい。

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四賢侯松平春嶽(慶永)とは

諱は慶永といい、後に春嶽(しゅんがく)とします。
11歳で越前福井藩主となります。

松平春嶽
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


松平春嶽は幼い頃から学問に熱心で、幼少期から優秀さは秀でておりました。

 

初めて藩政に乗り出したのは16歳の頃です。
当時福井藩には、なんと90万両という莫大な借金がありました。
松平春嶽はさっそく自らの報酬も含めて減給するなど、改善に着手します。

 

明道館と藩の改革

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松平春嶽は藩校明道館を創立し、西洋学、また西洋式軍備を積極的に取り入れます。
殖産興業を促進して藩の力を向上させます。

 

また、松平春嶽は身分を問わず、能力が高い者を積極的に引き上げていきます。
その点四賢侯の一人、薩摩藩主島津斉彬も同じです。

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三岡八郎(後の由利公正)、中根靱負(後の中根雪江)、橋本佐内など多くの秀でた人材を引き上げています。

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藩内におさまらず、熊本から横井小楠を顧問として招いて様々な意見を聞き、取り入れていきました。

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そのように柔軟な姿勢の松平春嶽は当初攘夷派でしたが、周囲の意見を取り入れ、開国の考えに改めます。

 

また、当時日本にはなかった「りんご」を日本で初めて植え、育てたのが春嶽であると言われています。
こういったところまで新しいものを取り入れる思考が備わっていました。

 

松平春嶽は安政の大獄で隠居となる

松平春嶽は将軍継嗣問題では一橋派を推しますが敗れます。

 

井伊直弼が日米修好通商条約の締結を許可なしに進めると、春嶽はそれに反対して徳川斉昭らと一緒に隠居させられてしまいます。
また、片腕であった橋本佐内が処刑されます。

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春嶽は桜田門外の変の後復帰します。

 

政事総裁職と四侯会議

松平春嶽は初代政事総裁職に就き、徳川政権への影響も及ぼしていきます。
この時33歳でした。

 

この時期徳川幕府の衰退は止められない状況でした。

 

山内容堂、島津久光、伊達宗城、そして松平春嶽の4人は四侯会議を行い、徳川政権から雄藩による政権運営に移行するよう動きますが、成果は上げられませんでした。

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大政奉還から明治維新

幕末も押し迫り、徳川慶喜は大政奉還を決断します。

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松平春嶽は大政奉還に賛成していました。
当初徳川家の存続を意見しておりましたが、そうは言っていられない状況になり、新政府軍に加わります。

 

明治に入り、内国事務総督、民部官知事、民部卿、大蔵卿と歴任します。
明治3年には退き、自宅で63歳で亡くなります。

 

松平春嶽の名言

私にはすぐれた才能も知恵もないし、特別な力もない。
ただ、常にみなの言葉によく耳を傾けて、その中で良いと考えられる意見に従うまでだ。

引用:http://meigen777.net/person-shungaku.html

 

松平春嶽はこの言葉通り実行しました。
家臣も春嶽がこういった姿勢でいたからこそ積極的に進言し、春嶽のために一肌脱ごうという気持ちになったと感じます。

 

西郷どんの松平春嶽は津田寛治さん

大河ドラマ西郷どん(せごどん)では、津田寛治(つだかんじ)が演じます。
ベテラン俳優の津田さんは春嶽のイメージにぴったりです。

 

最後に

松平春嶽の姿勢はまさにリーダーとして不可欠な要素であると感じます。

 

意見を聞く謙虚さ、それを受け入れる器
もちろん家臣の意見を取り入れて新しいことをやるということは、失敗もあるということを指します。
その失敗も受け入れる覚悟、器がなければ成り立ちません。

 

そういった松平春嶽の人格に惹かれ、家臣は安心して仕事に取り組むことができました。
春嶽の仕事に取り組む姿勢は現代にもそのまま活きてくるはずです。

 

福井県の学力は現在でも高く、社長も多く輩出しています。
それは春嶽が築きあげた教育の基盤が関係しているのかもしれません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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