徳川幕府の16代将軍は誰でしょうか?

 

そうです、徳川幕府は15代将軍徳川慶喜で終焉しましたので、16代将軍は存在しません。
しかし16代の将軍になる予定であった人物はいます。

 

それが徳川家達(いえさと)です。

 

家達は将軍となる予定であったはずが、幕府はなくなり、徳川家というものも変わり、新しい時代で生き抜かなければならない状況に追い込まれます。

 

家達の生涯をたどると、私は力強さを感じます
徳川幕府という、当時としては過去の産物を自分の運命に背負いながらも、誰よりも新しい時代と向き合った人物、それが家達ではなかったのか。そう感じてしまいます。

 

今回は徳川家達の生き方から学んでいきたいと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。

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徳川家達の生涯

1863年、田安家の三男として生まれます。
幼い頃は亀之助という名前でした。

 

父は14代将軍家茂の将軍後見職に就いていました。
14代家茂は次の将軍を家達にという意思、遺言を残していました。

 

その遺言通り、家達を将軍にしようという動きもありましたが、家達はその時4歳でした。

 

穏かな江戸中期などではそれでも良かったかもしれませんが、諸外国との交渉、また倒幕を計画する諸藩のことも対応しなければなりません。

 

結果としてはご存じのとおり、一橋慶喜が将軍となります。
待ったなしの情勢の中、慶喜は大政奉還を決断します。
徳川慶喜【大政奉還の真実】二条城での大英断はなぜ行われたのか?

 

1868年、慶喜とはまた違うかたちで、徳川家の宗家として家達が継ぐことになります。

 

明治2年に静岡藩主となり、德川家の地である現在の静岡市葵区に移り住みます。

 

しかし程なくして1871年には廃藩置県が発令され、家達は東京に戻り、千駄ヶ谷に移りました。

 

1877年、イギリスに留学しますが、婚礼を進めるために帰国します。

 

その後華族令が出され、家達は貴族院議員となり、その後31年間務めることになります。
ワシントン軍縮会議には全権大使として出席するなど、政治家として活躍しました。

德川家達出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

初代東京市長、総理大臣候補にも名前が上がりますが、いずれも辞退しています。
常に、德川家の者が表に立つべきではないという考えを持っていました。

 

德川家の宗家という立場でありながら、そういった控えめで客観的に物事を見る能力を持っていたからか、多くの政治家などが家達を慕い、訪れました

 

また、1940年に東京オリンピック開催の予定となり、家達は大会委員長の任に就きます。
しかし日清戦争が始まり、オリンピック自体の開催がなくなりました。

 

昭和15年、1940年に76歳で亡くなりました。

 

德川家達と天璋院篤姫

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家茂が亡くなった際、家茂の遺言を実行しようと家達を将軍に就かせようとしたのが天璋院でした。
【篤姫と和宮の関係と絆】幕末最大の偉業を成し得た2人の気高い女性

 

天璋院は家達を可愛がり、家達が千駄ヶ谷に移ると篤姫も一緒に住むようになり、家達の教育をすることに晩年は注ぎました。

 

家達の結婚を強く望んだのも天璋院で、自ら婚約を計画しました。

 

篤姫は薩摩藩主島津斉彬の命で徳川家に嫁ぎますが、嫁いで間もなく斉彬は亡くなっています。
島津斉彬の子孫をご紹介|さらに養女篤姫との本当の関係を公開

 

その後も薩摩には戻らず、徳川家の一員として、大奥を背負う者として強く生き抜きました

 

家達に対して、どこか自分とその境遇を重ねていたのかもしれません。
だからこそ家達に愛情を注ぎ、力強く生きるように教育したのかもしれません。

 

德川家達の子孫

家達は19歳の時に、近衛泰子と結婚しており、一男三女を儲けました。

 

長男の家正(いえまさ)は外交官として活躍した後、最後の貴族院議長として活躍した人物です。

 

徳川家達邸

現在の東京体育館があった場所に旧徳川家達邸がありました。
10万坪を超えるほどの広さだったと言いますので、改めて徳川家の力を感じさせられます

 

慶喜の妻美賀子はここで最期を迎えました。
天璋院篤姫も同様です。

 

最後に

家達は周囲からは「16代様」と言われることが多かったと言います。
しかし、家達はそう言われるのを嫌い、自らが新しい徳川家を創っていくという気持ちや想いを周囲に伝えたそうです。

 

德川幕府が続いていたら、、
そんなことを考えても仕方がありませんが、家達であれば新しい時代に合った指導者になっていたのではないか、勝手にそう思ってしまいます。

 

東京オリンピックが行われた、また2020年に開催のオリンピックが、千駄ヶ谷付近で行われることに、歴史と継承を感じます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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