江戸幕府第13代将軍徳川家定の正室の篤姫、第14代将軍徳川家茂の正室である和宮。

 

当時日本でもっとも力のある女性とも言えるふたりは、犬猿の仲でした。
1000人を超す女性がいた大奥において、相容れない仲であったと有名です。

 

しかし、徳川幕府が崩壊しようとしたとき、大奥最強のふたりは共に戦う同志という関係に変わります。

 

今回は篤姫と和宮の出会いから最期までのエピソードや、ふたりの偉業をご紹介させていただきます。

どうか最後までお付き合い下さい。

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天璋院篤姫と和宮親子内親王の出会い

第13代将軍家定が亡くなり、篤姫は天璋院と名前を改めます。

篤姫
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


そして第14代将軍家茂の正室として徳川家に嫁いできたのが和宮親子内親王です。

和宮
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


篤姫と和宮の年齢差は10歳ですが、形式としては嫁と姑の関係になります。

 

篤姫が正室になった背景にも薩摩藩と幕府の都合があったように、和宮の輿入れも朝廷と幕府の都合がありました。
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和宮は公明天皇の妹であり、公武合体のために朝廷から幕府に送られた正室でした。

 

当時大老の井伊直弼が日米修好通商条約を締結しており、次第に幕府の力が弱まる情勢でした。

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朝廷は攘夷を切望していました。
朝廷は幕府に攘夷を実行させることを約束させ、その引き換えに和宮の輿入れを約束します。

 

和宮が京から江戸に輿入れするときの行列は3万人であったといいますので、朝廷の力やこの輿入れの重要性が想像できます。

 

大奥最強のふたりの確執

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当初、和宮は将軍の正室になることを断固拒否しました。
しかし天皇は幕府に対してすでに承諾済であり、拒否することは容易ではありませんでした。

 

そのため和宮は、これまでの大奥のしきたりに従わないという条件で徳川家に嫁ぎます

 

しかし、和宮のその条件は大奥側も認識していたわけではありませんでした。
当然双方気持ちの良い関係でスタートできるはずもなく、当初から対立することになります。

 

篤姫は薩摩藩の武家育ちであり、一方の和宮は公家育ちで、しかも天皇の妹という身分です。

 

篤姫としては武家の風習や文化を大事にしない和宮に対して苦々しいですし、
和宮としてはイチ大名の娘である篤姫に従うことは許しがたいという、
それぞれが相容れない関係となります。

 

当然もともとの身分としては圧倒的に和宮が上です。

 

しかし、最初のふたりの対面の時、篤姫が上座に座り、和宮には座布団もなかったというほどの扱いであったとのことですから、和宮からすると相当な屈辱であったことが容易に想像できます。

 

将軍の正室である2人ですから、大奥最強の2人の対立と言えます。

 

徳川幕府の崩壊、そしてふたりの共闘

そんなふたりの関係が変わるときがきます。
家茂が21歳と若くして亡くなり、徳川慶喜が第15代将軍となります。
和宮は静寛院と名前を改めます。

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そこで慶喜が大奥を変えようと動きます。
もともと篤姫も含めて大奥は一橋家(水戸藩)に対して苦々しく思っていました。

 

慶喜がふたりの共同の敵のようなかたちとなり、篤姫と和宮の対立関係も改善していきます。

 

そして、情勢は徳川家の内部争いを気にしてはいられなくなります。
徳川幕府崩壊の危機が訪れます。

 

慶喜より大政奉還がなされ、官軍の江戸への攻撃が目前に迫ります。
篤姫と和宮からすれば、薩摩藩と朝廷というふたりの実家同士が、力を合わせて嫁ぎ先の徳川家をつぶしにかかってくるようなものです。

 

時代が時代ですし、立場が立場ですので仕方がないのかもしれませんが、一般人の感覚からするとその悲しさ、辛さは計り知れません。

 

その時、ふたりは徳川家を、そして江戸を守るために協力し合うことにします。

 

篤姫は薩摩藩の西郷隆盛に対して、和宮も朝廷側にそれぞれ徳川家と江戸城を守るよう嘆願書を出します。

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ふたりの動きも影響し、江戸での総攻撃は阻止することができ、徳川家の滅亡も防ぐことができました。

 

篤姫と和宮の最期

和宮が病気のため箱根で療養しているときに、篤姫はお見舞いに行ったといいます。
ふたりは犬猿の仲どころか、お互いの身を案じる中に変わりました。

 

その箱根での見舞いが篤姫、和宮ふたりの最後の対面であり、和宮は32歳で亡くなります。
篤姫は大変に悲しんだということです。

 

その後篤姫も49歳で亡くなります。

 

最後に

篤姫と和宮、ふたりはそれぞれ一般的とは程遠い身分に生まれ、一般的ではない結婚をします。
また、篤姫が徳川家にきて10年少々、和宮がきて6年も経たずに徳川幕府が崩壊するという、まさに動乱の中で生きます。

 

嫁と姑の関係から、同志になり、戦友のような絆ができたのだと感じます。

 

ふたりはそれぞれの誇りと、徳川家の誇りを守り続ける生き方を選び全うしました。
その気高さに惚れ惚れし、感服します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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