本名をアニー・バロウズ・シェプリー。
大森兵蔵と結婚して日本に帰化してからは大森安仁子(あにこ)。
日本にバスケットボール、バレーボールを伝え、日本初のオリンピックでは選手団監督を務めた大森兵蔵の妻、それがアニーです。
いだてんではシャーロット・ケイト・フォックスさんが演じられます。
今回はアニー・バロウズ・シェプリーの生き方を通して学んでいきます。
どうか最後までお付き合い下さい。
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名家に生まれたアニー・バロウズ・シェプリー
アニーは1857年、アメリカのミネソタ州に生まれました。
1857年というと、日本では日米修好通商条約が結ばれるちょっと前、安政の大獄などが行われている時です。
シェプリー家は、イギリスからアメリカに来た開拓民で、名門な家柄でした。
アニーは画家で、ボストン美術学校を卒業し、ニューヨークで絵を教えていたこともある腕前でした。
アニーと大森兵蔵との出会い
大森兵蔵と出会ったのは、アニーが絵に専念して、画家として生計を立てていた頃でした。
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アニーは絵に集中したいので、家政婦を雇いたいと考えます。
そこで、国際YMCAトレーニングスクールに募集しました。
大森は国際YMCAトレーニングスクールの生徒で、なんとそのアニーの募集で来たのが大森だけだったのです。この時夏休みということもあって、学生がいなかったことも影響したようです。
しかし、大森ができる料理はアニーの口に合うものではありませんでした。大森はすぐにバイトを辞めようとしますが、アニーが大森を気に入り、料理ではないことをやってもらう使用人として雇ったのです。
国籍、歳の差を乗り越えての結婚
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あくまで雇い主と使用人としての関係が続きますが、いつしか交際に発展します。
しかし、2人の間には相当な覚悟が必要なことがありました。
1つは言うまでもなく国籍です。当時の日本は今と違って国際結婚はかなり珍しい時代でした。
もう1つは歳の差です。2人の間には20歳の年の差がありました。しかし、その2つを乗り越え、2人は結婚します。
明治40年(1907)、アニーと大森兵蔵はアメリカで結婚します。
地元の新聞でアニーが日本人と結婚することが報じられたそうです。
アニーがどれだけ名門の令嬢であったかがわかります。
日本人大森兵蔵の妻として帰化
大森兵蔵には、アメリカ留学で学んだことがあり、その知識を日本で伝えたいという目標がありました。また、大森が留学中に体感したのは日本人の体格の小ささでした。そのことから、日本人の体格の向上も目指したかったのです。
そんな大森の夢をアニーは理解し、応援することを決意します。
明治44年(1911)、大森とアニーは日本に渡り、アニーは帰化するのです。
アニーも日本のオリンピック参加に貢献
日本初のオリンピック選手となったのがマラソンの金栗四三、短距離走者の三島弥彦です。
スウェーデンのストックホルムで開催されるオリンピックです。
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しかし、2人は当然日本から出たことはありませんし、言葉もマナーもわかりません。
それを教え込んだのがアニーでした。
日本の監督となった大森兵蔵ですが、そういったレース以外の面でアニーは貢献しました。
夫大森兵蔵の死
ストックホルムまでの道のりは想像以上に険しいものでした。
船と鉄道で乗り継ぎ、17日間かかって到着します。
その時、夫大森兵蔵の体はかなり病状が進行していました。大森は結核を患っていたのです。
オリンピック中もほとんど寝たきりのような状態になり、大森は日本に帰ることはできませんでした。帰国途中に、アニーの親戚に会いにアメリカに渡った際に病状が悪化して亡くなります。
大森兵蔵の意志を受け継ぎ有隣園を支える
大森兵蔵には、私財で設立した児童福祉施設がありました。それが有隣園です。
アニーは大森が亡くなった後も、イギリスでもアメリカでもなく、日本で暮らすことを決意します。大森の意志を受け継ぎ、有隣園の運営を行っていくのです。
戦時中は反米の意識から運営が困難になることもありましたが、昭和15年にはアニーの社会貢献は表彰されました。
翌年の昭和16年(1941年)にアニーは85歳で亡くなりました。
大河ドラマいだてんではシャーロット・ケイト・フォックスさん
大河ドラマいだてんでのアニー役は、シャーロット・ケイト・フォックスさんが演じられます。
シャーロット・ケイト・フォックスさんは33歳、竹野内豊さんは47歳ですので、実際とは歳の差が逆になっています。
夫大森兵蔵を支えるアニーをどう演じられるのか楽しみですね。
最後に
アニーの人生をたどると、その後半は夫大森兵蔵のために尽くした人生でした。
大森が亡くなった後、アニーは黒い洋服ばかりを来て、喪に服したそうです。
夫が日本人であったとはいえ、なかなかその国に残ることはできないのが普通ではないでしょうか。ましてや戦争中です。相手は自分が生まれた国です。
アニーの芯の強さ、大森兵蔵への愛の深さが伝わってきます。
素敵な女性ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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