三島彌太郎(みしまやたろう)。
大河ドラマ「いだてん」に登場する日本初のオリンピック選手、三島弥彦の実兄です。
配役は小澤征悦(おざわゆきよし)さんです。
三島彌太郎は貴族院議員や日本銀行の総裁を務めた人物です。
弥太郎と弥彦2人の父は、西郷隆盛や大久保利通らとも親交があった薩摩藩士です。
2人の父は弥彦が幼い頃に亡くなっているので、弥彦にとって弥太郎の存在は大きかったはずです。
今回は三島彌太郎(やたろう)の生涯をたどりながら、その生き方から学び、より一層いだてんを楽しめるような情報をお伝えできればと思います。
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三島彌太郎(みしまやたろう)とはどんな人物か?
いだてんでは、オリンピックに出場する三島弥彦(配役生田斗真さん)は準主役級ですので、注目されるのは当然です。
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ただ実は、兄の彌太郎、2人の父である三島通庸(みちつね)だけでも1つの物語ができてしまうほどの人物です。
父は警視総監を務めた三島通庸(みちつね)
三島彌太郎と三島弥彦のお父さんが生きた時代は、江戸時代末期から明治にかけてというまさに動乱です。
当時日本一強かったとも称される薩摩藩士。
その中でも三島通庸はあの「人斬り半次郎」と呼ばれた中村半次郎と同じ郷中だったそうで、気性が荒く、強い武士の集団の一人でした。
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精忠組にも参加し、寺田屋事件の際もその場にいたと言いますから、まさに「志士」であったことがわかりますね。
その後明治政府に仕え、山形県令(県知事)、福島県令、栃木県令を務めたのち、警視総監に就任しました。
大久保利通や伊藤博文からの信頼も厚く、「鬼県令」と呼ばれた剛腕で新しい時代を切り開きました。
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エリート街道を進む三島弥太郎(みしまやたろう)
三島彌太郎(みしまやたろう)は、慶応3年(1867年)に薩摩藩に生まれました。
父の仕事の関係で三島家は鹿児島から東京、その後山形というかたちで引越しが多かったようです。
彌太郎は山形県師範学校(現在の山形大学)、駒場農学校(現在の東京大学農学部)で学びます。
非常に優秀な成績で、18歳の頃にはマサチューセッツ大学に留学して農政学を学びました。
帰国すると明治30年(1897年)に貴族院議員に当選します。彌太郎が31歳の頃です。
鉄道国有化にも貢献しました。
彌太郎は政治家を務めながら、金融のプロフェッショナルとして活躍します。
横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)の頭取を務め、大正2年(1913年)には第8代日本銀行総裁に就任しました。
出典:wikipedia
ちょっと話がそれますが、相当イケメンですよね^^;
裕福な家柄、これだけの容姿、日本銀行総裁というキャリア、、、絶対モテまくったはずですよねー!?
どことなく配役の小澤征悦さんと似ている印象もあります。
激動の日本の金融を支える
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三島彌太郎が銀行家として活躍した時代というのは、激動だったはずです。
1904年~1905で日露戦争、1914年~1918年で第一次世界大戦が行われた時代です。
大きく景気が変動する中で、資本を戦争に投下しつつも、金利や物価の調整など、多くの施策を打たなければ、国として保つことができなかったのではないでしょうか。
また、三島彌太郎は桂太郎からの支援を受けたこともあったようです。
桂太郎と言えば、長州藩出身の陸軍大将であり、長期に渡って総理大臣を務め上げた人物です。
彌太郎が日本銀行の総裁を務めていた際、桂太郎からの指示などがどれほどあったかは把握できませんが、日本銀行総裁が政治家からの影響を受けないわけはありません。
多くの政治家や官僚との関係を保ちながら、現実的な状況を見極めて実務面をまとめ上げるというのは、凡人には想像できないほどの大仕事です。
しかも近代国家としての制度や体制を構築しながら、さらに戦争をしながらですから、現代ともまた違う側面があります。
「確固たる信念」なしでは務まらなかったはずです。
一方でいくら秀才の超エリートとはいえ、かなりの気苦労があったことも容易に想像できます。
大正8年(1919年)、三島彌太郎は急病により51歳で亡くなります。
現職でしたので、余生を送る時間もなく、生涯を通して日本の金融を支えたことになります。
三島彌太郎(やたろう)と三島弥彦(やひこ)について
三島彌太郎がいだてんで登場するのは、三島弥彦の兄としての立ち位置です。
彌太郎は名家中の名家である、三島家の当主です。
弟の弥彦は野球や柔道、ボートやスキーと、稀に見るほどのスポーツ好きでした。
スポーツは遊びというイメージがあった時代ですので、当主の彌太郎はそんな弟に手を焼くようです。
実際はどうだったのでしょうか。
彌太郎と弥彦は19歳差ですので、兄弟とはいえ世代が違うと言っていいほどですよね。
なかなか理解し合えない点があったのかもしれません。
しかし、弥彦は決してスポーツだけではなく、東京帝国大学(東京大学)を卒業しているほどの秀才ですし、オリンピック後は兄と同じく金融マンになっています。
スポーツという点は相違があったのかもしれませんが、弥彦は兄彌太郎の背中を見ていたのかもしれませんよね。
三島弥太郎は小説「不如帰」の川島武夫のモデル
三島弥太郎(やたろう)はなんとベストセラー小説のモデルになっています。
明治時代に書かれた「不如帰」(ふじょき、ほととぎす)に登場する川島武夫です。
私たちの世代はほとんどご存じない方が多いかと思いますが、「不如帰」は映画、テレビ、漫画などになっているヒット作品です。
三島彌太郎の妻・子孫
三島彌太郎は二度結婚しています。
一回目は元帥陸軍大将を務めた大山巌の長女、大山信子と結婚しました。
大山巌は寺田屋事件に参加した薩摩藩士で、彌太郎のお父さんの後輩にあたります。
日露戦争を勝利に導くなど、軍人としての活躍は説明するまでもないほどの大人物です。
関連記事:【器の大きい男とは?】幕末~明治のリーダー大山巌!感動の3つの名言と男の生き様とは?
二回目は四条隆謌侯爵の三女、四条加根子と結婚しました。
いずれの奥さんも名家にふさわしいお相手ですよね。
彌太郎は二男二女の子供がいました。
長男は三島通陽、小説家、政治家として活躍しました。
ボーイスカウト日本連盟総長も務め、日本にボーイスカウトを広めたことでも有名です。
二男は三島通隆、模型飛行機の専門家として活躍しました。
三井一族で芝浦製作所監査役を務めた越英之介氏の娘と結婚しました。
2人の娘も立派な人物に嫁がれました。
まさに華麗なる一族ですね!
ご子孫も健在で、多方面で活躍なさっています。
いだてんの三島彌太郎役は小澤征悦(おざわゆきよし)さん
出典:thetv.jp
大河ドラマ「いだてん」の三島彌太郎役は小澤征悦(おざわゆきよし)さんが演じられます。
先ほど小澤さんがどことなく彌太郎と似ていると書かせていただきましたが、華麗なる一族点であるという点も共通しています。
説明不要ですが、お父さんは世界的な指揮者である小澤征爾さんです。
小澤征爾さんの父、征悦さんからするとおじいさんは、満州国協和会を創設した大物でした。
征悦さんのお母さんは女優入江美樹さんです。
ご兄弟も芸術に携わっている方が多く、やはり一般家庭とは違う印象です。
多くの映画やドラマに出演されている小澤征悦(おざわゆきよし)さんですが、これまで三度大河ドラマに出演しています。
徳川慶喜(1998年)の沖田総司役、義経(2005年)の源義仲役、篤姫(2008年)の西郷隆盛役を演じられました。
勝手に三島彌太郎と小澤征悦の共通点などと書かせていただきましたが、小澤さんは三島彌太郎のイメージにぴったりです。
近代史ということもあり、大河ドラマの中ではかなりポップな印象がある「いだてん」ですが、その中では三島彌太郎は重厚感のある存在になるはずです。
今から楽しみです(^^)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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