田島錦治(たじまきんじ)。
京都帝国大学の教授を務め、初代経済学部長を就任した経済学者です。

 

また、日本が初めて出場したストックホルムオリンピックの開会式に参加した人物でもあります。

 

大河ドラマ「いだてん」にも登場しますので、再注目されるかもしれませんね。

 

今回は田島錦治の生涯をたどりながら、より一層いだてんを楽しめるような情報をお伝えできればと思います。

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田島錦治(たじまきんじ)の生涯

田島錦治(たじまきんじ)は、慶応3年(1867年)に、当時の江戸、現在の東京都新宿区に生まれました。

 

非常に優秀で、帝国大学法科大学政治学科に進学します。
欧米留学も行い、見聞を広めました。

 

帰国すると京都帝国大学の教授となり、「経済理論」、「財政学」などの講義を務めます。
その後京都帝国大学の初代経済学部長に就任しました。

 

京都帝国大学を退職した後は、立命館大学の第3代学長を歴任するなど、当時の教育界・経済学のリーダーとして活躍しました

 

田島は昭和9年に68歳で亡くなりました。

 

ベルリン留学中に嘉納治五郎から緊急招集

田島錦治
出典:wikipedia

いだてんに絡んでくるのは、田島錦治(たじまきんじ)がベルリン留学中です。

 

ストックホルムオリンピックは1912年ですので、田島が45歳の頃ですね。

 

NHKのサイトの説明には、田島がベルリン留学中に、嘉納治五郎から急きょ招集されるようです。

 

マラソンの金栗四三、短距離走の三島弥彦、日本選手団長嘉納治五郎、監督大森兵蔵らと共に、入場行進に参加するようです。

 

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当時飛行機はありませんし、日本からストックホルムまでは多額の旅費がかかりました。
オリンピックへの参加は政府が協力していませんので、資金が足りず、参加者は最低限だったのです。

 

そのため日本選手団が少なすぎるので、人数合わせのために嘉納治五郎が呼んだそうです。

 

田島と嘉納の関係を調べてみましたが、情報が見つかりませんでした。
嘉納は当時日本の教育界のリーダー的存在でしたし、田島より7つ年上です。
どこかで一緒に仕事をしたことがあり、先輩・後輩的な関係だったのかもしれませんね。

 

いだてんの田島錦治(たじまきんじ)役はベンガルさん

いだてんに出演するベンガル
出典:daily.co.jp

大河ドラマ「いだてん」の田島錦治(たじまきんじ)役はベンガルさんが演じられます。

 

ベンガルという芸名は、「ベンガルの虎」という舞台が好きで、モノマネをしているうちに仲間内から「ベンガル」とあだ名されるようになったからだそうです。

 

ベンガルさんは超人気ドラマの「あぶない刑事」の出演で有名俳優の仲間入りを果たしました。

 

多くのドラマ、映画、舞台に出演されており、最近では「3年A組-今から皆さんは、人質です」でお見かけしました。

 

過去の大河ドラマにも「功名が辻」、「龍馬伝」、「軍師官兵衛」などに出演されているので、まさにベテラン俳優ですね。

 

飛び入り参加とはいえ、日本初のオリンピック出場のときに入場行進をするというのは凄いですよね!

 

いだてんでの登場が楽しみです(^^)
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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